2004.10.13配布
社会学研究10「社会変動とライフコース」
講義記録(2)
●要点「東京ソング」
「立身出世」という上昇的社会移動と「上京」という求心的地域移動の結びつきによって、近代日本の「人生の物語」が「東京の物語」という側面をもつことについては前回触れ、映像メディアにおける「東京の物語」の代表である小津安二郎の『東京物語』(1953)を採り上げた。今回は音楽メディアにおける「東京の物語」すなわち「東京」をめぐる戦後の流行歌に着目し、そこで歌われている「東京」イメージの変容について見ていこうと思う。
1940年代後半(終戦直後)、「東京」は明るく、元気で、夢にあふれる街として歌われた。「夢淡き東京」(藤山一郎)、「東京ブキウギ」(笠置シズ子)、「銀座カンカン娘」(高峰秀子)、「東京キッド」(美空ひばり)・・・。「東京」は灰燼の中から急速に求心力を回復していった。「東京」が一番プラスの言葉で歌われた時代である。
1950年代、東京への人口移動が盛んになると、「故郷」と「東京」の間で交わされる歌が盛んに生産されるようになる。「白い花の咲くころ」(岡本敦郎)や「別れの一本杉」(春日八郎)は上京してきた男性が故郷に残してきた女性のことを想う歌、「リンゴ村から」(三橋美智也)や「早く帰ってコ」(青木光一)は故郷に残った者が東京へ出て行った者を想う歌、そして「東京だよおっ母さん」(島倉千代子)は上京して東京に定住した女性が故郷から母親を呼んで東京見物につれていく歌である。「故郷」は最初から「故郷」であるわけではなく、生まれ育った土地を離れて、そこを振り返るとき、初めて「故郷」となる。
50年代も後半になると、成熟した「夜の東京」「大人の東京」がムードたっぷりに歌われるようになる。「有楽町で逢いましょう」(フランク永井)や「銀座の恋の物語」(石原裕次郎・牧村旬子)など、ムード歌謡の舞台は銀座周辺に集中していた。
1960年代、ムード歌謡が夜の「東京」を歌い続ける一方で、「ここ」を離れて、しかし「故郷」ではない「どこか」を志向する歌が登場する。高度成長期における企業社会の成立は人々の人生に安定と豊かさをもたらしたが、同時に、管理社会からの脱出の願望も加熱したのである。「ギターをもった渡り鳥」(小林旭)や「涙を抱いた渡り鳥」(水前寺清子)では「渡り鳥」が「旅人」のメタファーとして使われている。「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)は同名の旅行番組のテーマソングとして人気を博した。消費社会ではどのような願望もそれを満たす商品を生む。旅への憧れは観光産業と結びつき、「函館の女」(北島三郎)を嚆矢とする「御当地ソング」が次々と生産されるようになる。
こうした風潮は「東京」ソングの舞台をも銀座という「中央」から新宿や池袋といった「辺境」へと変えていった。「東京流れもの」(竹越ひろ子)、「池袋の夜」(青江三奈)、「新宿の女」(藤圭子)の主人公は定住者ではなく渡世人や水商売の女たちである。
1970年代、「東京」は流行歌のタイトルからしだいに姿を消し始める。団塊の世代が上京を終えたこと、全国の都市の「東京化」などが理由として考えられるが、国鉄の旅行キャンペーン「ディスカヴァー・ジャパン」の成功も忘れてはならない。「辺境」へのまなざしは、「知床旅情」(加藤登紀子)、「襟裳岬」(森進一)、「終着駅」(奥村チヨ)、「津軽海峡冬景色」(石川さゆり)、「北国の春」(千昌夫)など、北へ向けられることが多いが、それは東京には東北方面からの上京者が多いということのほかに、日本人の国民性としてセンチメンタリズムに負うところが多いと思われる。「雪」を叙情的に見るまなざしは、北国の住人のそれではなく、雪が非日常的な太平洋岸の都市生活者のそれである。
その一方で、1970年代には、フォークソング系の歌謡曲(ニューミュージック)が生まれ、団塊の世代のための「東京ソング」が作られる。「神田川」(かぐや姫)、「東京」(マイペース)、「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)、「なごり雪」(イルカ)などがその代表だが、空間的には東京を歌いながら、時間的には過ぎ去った青春の追憶ソングであるところに特徴がある。
本格的な歌謡曲においても、「東京」がタイトルに使われる場合、愛情物語の負の背景として利用されるようになった。「砂漠のような東京で」(いしだあゆみ)や「東京砂漠」(内山田洋とクール・ファイブ)では「砂漠」が「東京」のメタファーになった。そうしたつらい環境でもあなたがいるから生きていけると歌われるのである。
1980年代以降、「東京」離れはさらに加速する。おそらく「TOKIO」(沢田研二)が「魅力的な東京」を歌った最後の大ヒット曲であろう。ただし、それは流行歌全体から見た場合の話で、上京というライフイベントを経験する人生段階にある人々、すなわち若者の間では、「東京」ソングは一定の人気と支持をいまも保ちつづけており、とくに地方出身の人気アーティストのアルバムの中には、必ずと言ってよいほど「東京ソング」が入っている。
●質問
Q:ところで先生、カラオケはお好きですか。十八番はなんですか。
A:実はカラオケは一度も経験がありません。あと都市によくある遊興施設で行ったことがないのは、各種風俗店、パチスロ、エステティックサロンです。
Q:「ドナドナ」って何ですか。
A:えっ、「ドナドナ」を知らない? それは重症だ。ドナたかお客様の中に「ドナドナ」をご存じの方はいらしゃいませんか。急病人が出ました。
Q:「僕はないちっち」とモンチッチは関係あるのでしょうか。
A:関係ないちっち(たぶん)。
●感想
流行歌の曲調・曲風が戦後すぐから現在までの間に大きく変わっていることに驚いた。深い哀愁はどこに消え去ってしまったのでしょうか。★「哀愁」は1950年代半ばによく歌われました。「哀愁日記」(コロンビア・ローズ)、「哀愁列車」(三橋美智也)、「哀愁の街に霧が降る」(山田真二)・・・・。最後の哀愁ソングは田原俊彦の1980年のヒット曲「哀愁でいと」でしょう。たぶん哀愁を歌うには都会は明るく豊かになりすぎたのです。(・・・・と書いていて、みなさんからのリクエスの中に、ジャパハリネットというバンドの「哀愁交差点」という曲があることを知りました)。
「木綿のハンカチーフ」というと母の恋物語を思い出します。太田裕美似の母。★お会いしたいような、したくないような・・・・。微妙。
「木綿のハンカチーフ」はカラオケの十八番です。イントロを聴くと泣けてきます。女の子のあまりの健気さに泣けるのです。★欲しいものは何もないけど涙拭く木綿のハンカチーフを下さい・・・・か、もしこう言われたら怖いな。
最近、「半兵ヱ」(居酒屋)に飲みに行くのがマイブームで、そこでよく聞く音楽に似ているものが多くて、なんかテンションあがりました。★♪お酒はぬるめの燗がいい。肴はあぶったイカでいい。女は無口な人がいい〜(八代亜紀「舟唄」1974年)。
小学校の頃に読んだマンガの主人公が「僕はないちっち」という歌詞を歌っていて、こんな歌あるのかなと疑問に思っていたら、今日実際に聞けて感動しました。★百聞は一見に如かず。いや、一聴に如かず。
私は昔の歌謡曲が好きで、こないだとあるオジサンが「東京ナイトクラブ」を歌っているのを聞いた時も渋くていいなぁと思いました。★オジサンも好きなのだろうか。
いろいろな曲を聞けて充実しました。良さがわかるのは70年代以降ですかね。フォークソングばんさい。★フォークソングは、若者の、若者による、若者のための歌ですからね(それまでの若者の歌は、歌手は若者でも、詞と曲は大人が作っていた)。
東京特許許可局★曲じゃない。
●受講生の世代(1980年代前半コーホート)の「東京ソング」
「星になれたら」「everybody goes」「Tomorrow never knows」「イノセントワールド」「くるみ」(ミスター・チルドレン)
「歌舞伎町の女王」「正しい街」「闇に降る雨」「丸の内サディスティック」「罪と罰」(椎名林檎)
「Winter
Again」「a boy 〜ずっと忘れない〜」「カナリア」「カーテンコール」(GLAY)、「東京nights」「トラベリング」「EXODUS’04」(宇多田ヒカル)
「上京物語」「シングルベッド」(シャ乱Q)、「東京」「カレーの歌」(くるり)
「東京DAYS」「遠く遠く」(槇原敬之)、「東京」「TOKYO
DEVIL」(B’z)
「東京」「変われないので」(平川地一丁目)
「ファイト!」(中島みゆき)、「ラブストーリーは突然に」(小田和正)
「東京少年」(ゴーイングステディ)、「トモダチ」(ケツメイシ)
「空に唄えば」(175R)、「東京」(桑田佳祐)、「3月9日」(レミオロメン)、「夜空ノムコウ」(SMAP)、「果てのない道」(19)
「大宮サンセット」(スピッツ)、「Greatful Days」(Dragon Ash)
「ふるさと」(モーニング娘。)、「バイバイサンキュー」(BUMP OF CHIKEN)
「君が思い出になる前に」(スピッツ)、「街」(SOPHIA)
「ラストチャンス」(サムエル)、「ぬくもり」(いしのだなつよ)
「俺ら東京さ行くだ」(吉幾三)、「哀愁交差点」(ジャパハリネット)