2004.10.20配布

 

社会学研究10「社会変動とライフコース」

講義記録(3)

 

●要点「少子化」

「少子化」という現象を見ていこうとするときに用いられる指標は「合計特殊出生率」(TFR)である。これは便宜的に「女性が一生の間に産む子供の数」の指標として使われている(詳しい説明はQAを参照)。終戦の2年後、1947年のTFRは4.54だった。そして2003年のTFRは1.29である。56年間にTFRは3.5ポイントも下降した。しかし、その下降は直線的(2点間に定規で直線を引いたような変化)ではない。では、4.54から1.29への下降の軌跡はどのようなものなのか。

 戦後のTFRの変化には3つの段階がある。第1段階は、終戦直後から1950年代中頃(1955年のTFRは2.37)までの急激な下降期。第2段階は、1950年代中頃から1970年代中頃(1974年のTFRは2.05)までの安定期(ただし、丙午だった1966年の落ち込みは除く)。第3期は1970年代中頃から現在に至る緩慢な下降期である。

 第1段階におけるTFRの急激な下降は、結婚した女性の産む子供の数が実際に減少したことによる。この時期に子供を産んだ女性たちは、きょうだいは多いけれど子供は少ない「人口学的転換世代」である。「子供は4人以上」から「子供は2人」への急激な変化が起こったのである。第2段階におけるTFRの安定は「子供は2人」という暗黙の規範が不動のものとして確立されたことを意味する。「戦後の家族」のイメージ(夫はサラリーマン、妻は専業主婦、子供は2人、団地あるいは郊外の一戸建てに住み、犬や猫を飼っている)はこの時期の家族を反映したものである。ちなみに1963年の日本レコード大賞受賞曲は梓みちよの『こんにちは赤ちゃん』であった。第3段階におけるTFRの緩慢な下降は、結婚した女性が産む子供の数の減少によるものではなく(それは1970年代以降ずっと2.2の水準を維持している)、従来出生率の高かった年齢層(20代後半から30代前半)の女性の未婚率が上昇したためである。わが国では未婚で出産する女性はきわめて少ないため、未婚率の上昇はTFRの低下につながるのである。

しかし、最近の分析によれば、1990年代中頃以降については、晩婚化だけでなく、結婚した女性が産む子供の数の減少の効果も大きいようだ。とすれば、戦後のTFRの変化は第4段階に入ったという見方もできるだろう。


●質問

Q:合計特殊出生率と平均出生児数の違いを教えて下さい。

A:両者は全然別のものです。合計特殊出生率はある年の15歳から49歳まで(出産可能年齢)の女性たちの1歳刻みの出生率(その年齢の全女性を分母として、その年に出産を経験したその年齢の女性を分子とする)を合計したものです。つまり15歳から49歳という35年間を通過する間に出産を経験する確率を意味します(それが1.00なら1人、1.50なら1.5人、2.00なら2人、その期間に出産するとうことになります)。一方、平均出生児数は結婚持続期間が15年から19年の女性の出産児数の平均値です。合計特殊出生率の分母には未婚女性も含まれますから、未婚女性が増えると合計特殊出生率は低下します。しかし、平均出生児数の分母には未婚女性は含まれませんから、未婚女性が増えても、平均出生児数には影響を与えません(別の言い方をすれば未婚女性の増加という社会情勢を反映しない数値であるということです)。

 

Q:普通の出生率というのもあるのですか。

A:はい。人口千人(女性)あたりの出生児数を普通出生率といいます。1947年は34.3で、2000年は9.5でした。その社会が有する出生力の指標としては有効ですが、合計特殊出生率(女性が生涯に産む子供の数)のようなリアリティーを感じさせる数字ではありません。

 

Q:合計特殊出生率の仮定値が2020年あたりから先は一定なのはなぜですか。

A:将来の合計特殊出生率の予測するためには、(1)晩婚化の動向、(2)生涯未婚率の推移、(3)夫婦の完結出生児数の推移、(4)全女子の完結出生時数の分布、などについての仮定を必要とします。国立社会保障・人口問題研究所の計算では、上記4つの要因が2000年出生コーホート以後は一定であると仮定されているのです(かなり先のことなので、仮定することが困難)。

 

Q:十数人も子供がいるような「大家族」のドキュメンタリー番組がTVで放送されていますが、あれが人気を集めるのはなぜでしょう。

A:第一に、珍しいから。第二に、懐かしいから。第三に、にぎやかで楽しそうだから。要するにTVアニメ「サザエさん」の人気と同じ。

 

Q:先生は音楽にも詳しいようですが、一番の得意分野は何なんでしょうか。

A:私は学部時代、人文専修に進むときに、この専門分化の時代の中で「非専門化の専門家」になることを志しました。得意料理は広島風お好み焼き。

 

●感想T(少子化)

 一人っ子はさみしくないです><;★「絵文字を使う女の子は甘えん坊」という言説もある。

 

僕は一人っ子なのですが、今日の授業を聞いて、自分の親も「子どもは2人」という暗黙の規範に従って、美人のお姉さんを産んでくれたらよかったのにと思っていました。★「姉は美人」という暗黙の願望。

 

この3連休、一人っ子の友だちと旅行に出かけかました。いつもはそんなに気にならなかったけど、4日間一緒にいて、振り回されました。やっぱり一人っ子ってそうなのかな、と感じました。★別の話だけど、結婚を決める前に一緒に暮らしてみた方がいいというのもそういうことがあるからでしょう。

 

 私は愛する人との間にたくさん子どもを産みたいです。★って言うじゃな〜い。でも、はじめのうちだけですから!「愛は冷めやすいのだ」斬り。残念!

 

 私は子どもは9人欲しいです。野球チームをつくります。問題はすべて年子で産まなくてはならないこと。★本当の問題は(夫婦間の)愛情と、(育児にかかる)お金と、(出産で中断する)君の職業経歴。

 

 少子化は子どもに対する考え方が変わったからではないでしょうか。子ども一人一人の価値を重視する一方で、子どもを邪魔者として考えるという一種の二極化が生じているような気がします。★昨今よく見かける本のタイトル風に言えば、『子どもが生き甲斐である人と、子どもが人生のお荷物である人』。

 

 社会学をやっていると自分の悩み事も社会現象(およびその影響を受けている現象)だとわかり、万事些細なことに思えてきます。★夜空を眺めていると、もっと些細なことに思えてきますよ。

 

●感想U(80年代以降の東京ソング)

 私は上京してこの大学にいるわけですが、まったく上京しているという実感がわきません。本当に東京にいるのかなぁと思ったりします。そのせいか東京ソングというものにも遠いものを感じます。私もこういう曲を聴いて懐かしい気持ちになりたいです。★仕事で大きなミスをして地方に左遷されるといいかもしれない。

 

私は最近の音楽やTV番組をよく知らないのですが、先生が「175R」を「ひゃくさんじゅうアール」と読んだと聞いて少し安心しました。吉本興業のタレント、板尾創路と蔵野孝洋(ほんこん)のコンビ名が「130R」(ひゃくさんじゅうアール)なんです。鈴鹿サーキットの最終コーナー「130R」からつけたそうで、「限界ギリギリのところでやっていく」という意味とのこと。

 

 私の彼氏は35才なのですが、「175R」を「イナゴアール」と読んでいました。バリバリ80年代の尾崎豊や俊ちゃんやディスコのことなど全盛期の話を自慢気によく話しています。彼の実家にある昔々のレコードやカセットテープを見せてもらいました。先日、私の娘が家に彼氏を連れてきた。同じ大学に通う同い年の18才だった。もし35才だったら、今日は休講だったかもしれない。

 

 尾崎の「僕が僕であるために」はミスチルもカバーして歌っています。そっちもヨイです。★尾崎豊へのトリビュート・アルバム(ブルー)の中の一曲だよね。175Rが「十七歳の地図」、槇原敬之が「Forget-me-not」、宇多田ヒカルが「I LOVE YOU」をそれぞれ歌っている。私は買いました。

 

うちの兄はいつも部屋で尾崎豊を歌っています。かなり痛くて寒いです。先生のお力でやめさせて下さい。★私、書斎でブルーハーツを歌っています。

 

 この授業で歌を扱ってから少し意識して歌を聴きます。浜崎あゆみ「no way to say」、宇多田の「言葉にならない気持ち」、Every Little Thingの「UNSPEAKABLE」など、言葉に対する無力感を感じさせる歌が多いなと思いました。なるほど。恋心を言葉で十分に表現できないもどかしさというのは昔からのものだけど、それとは違うんだね? コミュニケーション願望の高まりとコミュニケーション能力の低下の同時進行ということだろうか。

 

 BGMやコンサート以外で、こんな人数で旋律に歌詞に身を浸し、共感することってあんまりない。素敵な時間をありがとうございました。もともと歌っていうのは共同体のものだったんだ。それがいまから25年前、ウォークマンの登場で音楽の個人化が急速に進んだ。この授業は音楽を「われわれ」の手に取り戻そうというNGO活動の一環なんだ(というのはもちろん嘘です)。

 

 「ファイト!」聴いて泣きそうになりました。最近、情緒不安定で涙もろいかも。★ファイト!

 

 

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