2004.12.8配布

 

社会学研究10「社会変動とライフコース」

講義記録(9)

 

●要点「高齢化」

高齢化とは老年人口(65歳以上)の割合が増加することである。現在、日本の老年人口割合は20%である。この数字は先進諸国の中で飛び抜けて高いわけではない。しかし、注意すべき点が2つある。

第一は、日本は高齢化のスピードが速いということ。老年人口割合が7%を越えた時点を高齢化の開始時点とすると、フランスは1890年代、旧西ドイツやイギリスは1920〜30年代、アメリカでも1950年代に高齢化が始まっている。ところが日本で高齢化が始まったのは1970年である。他の先進諸国よりずっと遅れて高齢化が始まったにもかかわらず、現在、それらの国と高齢化の水準が同じであるということは、いかに高齢化が急速に進んだかを物語っている。

第二は、日本の高齢化のスピードは今後も衰えないということ。老年人口割合は、現在50代半ばに位置する団塊世代(第一次ベビーブーマー)が老年人口に参入する2015年頃に25%を越え、さらに現在30歳前後に位置する団塊ジュニア世代が老年人口に参入する2045年頃には35%に達すると予想される。歴史上どの国も経験したことのない超高齢社会の出現である。

一方、高齢化の個人的側面である長寿化は、社会保障とは別の次元の問題を生じさせる。それは「respectability」(敬意を表されること)の問題である。老人ホームの4人の老人たちが操作場の一台の都電をジャックするTVドラマ『シルバー・シート』(山田太一脚本、1977年)を観て、この問題について考えた。「人間はして来たことで敬意を表されてはいけないかね?」 老人の一人、辻本(加藤嘉が演じている)のこの問いかけに問題は集約されている。

高齢者には「有能な私」という自己呈示をするために必要な社会的役割が乏しい。私的な領域においても、高齢者の恋愛やセックスはタブー視されているため、「愛されるべき私」という自己呈示にもブレーキがかかる。健康の衰えによって身の回りのことが自分でできなくなれば、「まともな私」という自己呈示も困難になるだろう。そのため高齢者はしばしば過去を語ることで、代償的な自己呈示をするのである。しかし、そうした過去志向的な自己呈示(昔は私だって・・・・)は、現在の能力や将来の可能性が重視される未来志向的な社会にあっては、プラスには評価されないのである。高齢化社会はマジョリティ化する高齢者が生きにくい社会である。

 

●質問

Q:中学生などがする「自分を悪く見せる」「自分を不良に見せる」という行為もトラマツルギーでいう自己呈示の一種なんですか。

A:もちろです。「大人(社会)に反抗している私」という自己呈示です。なぜそんなことをするかといえば、少なくとも彼らの文化(下位文化)の中ではそれが「カッコイイ」行為だからです。

 

Q:自己呈示と自慢は同じですか。

A:違います。自己呈示とは自分がイメージしている自己像を言語や振る舞いによって具体化し、他者の承認を得ようとする行為です。自慢(自分を自分でほめること)は自己呈示の一種ではありますが、「自慢しやがって」と見られてかえってマイナスですから、下手くそな自己呈示であるといえます。

 

Q:人は誰でも「愛されるべき自分」を演じるものであるなら、佐藤珠緒のようないわゆる「ぶりっこ」はなぜバッシングされるんですか? ちなみに僕は「ぶりっこ」が好きです。

A:あなたのようにぶりっこが好きな男性が多いから、「ぶりっこ」は女性から嫉妬され、嫌われるのです。ちなみに私も「ぶリっこ」はそんなに嫌いではありません。

 

●感想

 ひとつひとつのセリフが重くひびくドラマだった。★それが山田太一のドラマの特徴です。

 

ドラマを見て思ったのですが、敬意を表されたいと考える人間は、過去に敬意を表されたことがある人間ではないでしょうか。上野公園でサバイバルなホームレス生活を送っている老人は敬意云々などは考えないのではないかと思います。★一般市民のものとは違うとしても、ホームレスにもホームレスとしてのプライドがあるのです。

 

村上龍の『希望の国のエクソダス』に出てきた「UBASUTE」の話を思い出した。過去の栄光にすがりついて大きな顔をしている老人は殺してしまえみたいな話。そこまでは言わないが、今日のドラマは見てて老人の態度にいらいらした。カルシウムが不足しているのかもしれない。牛乳と小魚。

 

 私の祖父もよく過去を語りますが、祖母が武勇伝を語るのは聞いたことがありません。やっぱりリスペクトされたいと強く願うのは女性より男性なんでしょうか。★敬意を表されたい領域が違うということではないのかな。

 

 先日、TVドラマ『アリー・マイ・ラブ』で女性は敬意を払われたい生き物だということがテーマになっていました。respectabilityはジェンダーにも関係がありそうなテーマだと思います。というか社会に生きる人間にとって大きなテーマですね。興味深い。うっかり他人を馬鹿にする言動をすると後々まで根に持たれますからね。ご用心、ご用心。

 

 『ハウルの動く城』を観て、アニメでも高齢化社会を描く時代が来たかと思ったのですが、『ハウル』ではとても楽観的な描かれ方でした。何かとテーマを盛り込んだ映画で、着地点はやはり「愛」でした。★高齢化もなんのその。愛情至上主義社会はまだまだ続く。

 

 亡くなった祖父を思い出しました。よく若い頃の話をしていたのに幼い私は邪険に扱っていました。あれが祖父なりの自己呈示だったのだと思うとすごく切ないです。冷たい孫だったんだなぁ。★誰もが「タラちゃん」にはなれない。

 

 おじいちゃんは福岡に住んでいて、ふだん全然会えないのですが、あんなことを考えてるのかなぁと思うと、悲しくなって、すごく会いに行きたくなりました。★とりあえず電話をしてみようか。

 

 祖母は毎週プールに通ったり、趣味でいろんな講座に行ったり、旅行に行きまくったりと、ものすごく楽しそうで、うらやましくなるくらいです。私もこんなふうに歳を取れたらいいなーと思います。本当に敬意を表したいです。★問題は健康と経済力が損なわれたときなんだよね。

 

先日、父が電車で席を譲られたそうです。「ああ、そなん歳になったんだ」と思って可笑しかったらしい。★私はいまから10年以上前に地下鉄の車内で中年の女性から席を譲られたことがあります。いまだに理由がわかりません(座りましたけど)。

 

最近では若者でも過去を語って自己呈示をする人が多いと思う。僕もそうです。僕に未来をください。★「助けて下さい!」(森山未来)

 

 「自己呈示」の枠にはまり、その中で必死に生きていた私がいました。自由になりたいと叫び求めながら、どんどん縛られる自分がいました。高校時代です。そんな私が少しずつ変わってきました。人生の転機でした。キリスト教との出会い。「あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」聖書の言葉です。★世界を認識する枠組みの転換ということ。

 

 先日、『死に花』という映画をみた。老人のパワーを感じ、老いることの切ない気持ちも感じた。自分の老後の理想はかわいらしいおばあちゃんです。★そのためにはいまからすでにかわいくないといけない(らしい)。

 

 どんなに歳をとってもカッコいい人間でいたいと思った。その前に、今がカッコいいのか疑問だけど(笑)。★自分を笑えるというのはユーモアのセンスがある証拠。カッコいいんじゃありませんか。

 

 いまの社会が「未来志向的」であると言われてびっくりしました。そういうふうにカテゴライズすることができるということに。社会学って面白そうで研究してみたいんですが、先生みたいに表やグラフから何かを読み取るだけの想像力が欠けていそうで踏み込めません。★想像力というほどのものではありません。表やグラフの見方というものは訓練で身につくものです。

 

 私は常々、親世代の時代に生まれたかったなぁと思います。いろいろなものがたくさん出てきて、生活がどんどん便利になっていった上り坂の時代。贅沢かもしれないけど、今はこれ以上望みようもなく、なんだかつまんない気がする。これって過去志向?★自分が生きたことのない過去の時代に憧れるわけだから、夢想的な過去志向だね。現実逃避の一形態。

 

2050年、私は65歳になっている。きっと老人文化と老人ソングが大流行で非合理なおまじないが盛んだろう。おもしろそうだ。しかし一方で労働力として若い移民が大量に流入するから、結局、老人はマイノリティーになる、という未来も考えられるのではないでしょうか。★私の予測では、若い移民ではなくて、ロボットの実用化が進んでいると思う。老人ではなく人間そのものがマイノリティになっている。

 

 「TOO MUCH PAIN」聴いたとき、心臓をわしづかみにされた気分でした。それが歌の力です。

 

 

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