2004.6.30
社会学研究9「社会構造とライフコース」
講義記録(11)
●要点「そして子供たちは35歳になった」
イギリスのBBC放送の番組「そして子供たちは35歳になった」の一部を観た。この番組は、1964年当時7歳だった子供たちを7年ごとに(7歳、14歳、21歳、28歳、35歳)追跡インタビューした記録である。
トニーは下層階級の出身で、学歴も低い。しかし、あるいはだからこそ、成功願望は強く、各時点で将来の職業的達成の目標を明確に語り、その目標の実現に向けて実際に努力し、次の時点ではある程度の達成を収めている(だだし社会的に成功したとはいえない)。妻との仲はあまり良好とはいえないが、家庭は大切だと語り、離婚は(子供のために)ありえないと語り、母親の死の悲しみの大きさについても語っている。社会における成功と家族の幸福を熱心に語るトニーは近代版人生の物語を典型的に生きている人物であるといえる。
スージーは上層階級の出身だが、14歳の時点で両親が離婚をしており、その剥奪的経験からの回復が彼女のライフストーリーの基本テーマとなっている。彼女の場合、21歳と28歳の間の変化が非常に大きいが、これは愛する人との出会い、結婚、そして出産によってもたらされたものである。
ブルースは上流階級の出身で、パブリックスクールからオックスフォード大学に進んだが、権威志向は弱く、むしろ下層の人々や発展途上国の人々への関心が強く、自らすすんでバングラディッシュへ行き、現地の子供たちに数学を教えている。情緒的に希薄だった亡き父親との関係を語り、いまだに人生を分かち合える女性とめぐりあっていないことを語る。自分の恵まれた階級的資源を社会に還元することと、他者との親密な関係の構築が彼のライフストーリーのテーマである。
ジョンたち3人組はそろって上流階級の出身で、高学歴で、社会的威信の高い職業に就いた。文化資本の再生産という点において、彼らが低い階層出身の者よりも成功の物語を生きる上で有利な点にあるのは間違いない。しかし、彼らは上流階級出身→高学歴→社会的成功という図式によって自分たちの人生が描かれることに対しては不満があり、その過程に存在する「努力」が「苦悩」を強調している。ここでのライフストーリーは対象者とインタビュアーの共同制作物であるだけでなく、編集者による再構築という過程を経たものであることに注意する必要がある。
●質問
Q:インタビューの中でトニーが「35歳までは自分の好きなことをしまくった」と言っていたのですが、35歳とは何か意味のある年齢なのでしょうか。
A:「人生の中間地点」という意味があるのでしょう。人は自分が何歳まで生きるかわからない。わからないから、とりあえず、平均寿命というものを参考にする。人生80年。しかし、自分が必ずしも平均値まで生きられるかどうかわからないし(半数はその手前で死ぬわけだから)、仮に生きられたとしても、死ぬ直前まで元気であるわけではない。そこで多少割引して人生70年と考えると、35歳が人生の中間地点になる。たとえば村上春樹の短編集『回転木馬のデッドヒート』の中の「プールサイド」という小説の主人公は、「35歳」を自分の人生の折り返し点として想定して、そのときまでに「やりがいのある仕事と高い年収と幸せな家庭と若い恋人と頑丈な体と緑色のMGとクラシック・レコードのコレクション」を手に入れた。そして35歳の誕生日を迎えた彼は、自宅のソファで人生後半の最初のタバコを吸いながら、気づいたら泣いていた。自分がなんで泣いているのかわからないまま、泣いているのである。
Q:近代は無理やりにでも自分のオリジナリティーを外に出していかなければならないという暗黙の規範があって、いま自分はそれに直面していて、かなり悩んじゃいます。こういうのって他の時代にはなかったことなんですか。
A:「個性的であること」すなわち他の人間と違った自分であることに価値をおくという感覚は近代固有のものでしょうね。それ以前は「一人前であること」すなわち共同体のメンバーとして必要とされる一定水準の能力を持っていること(持っていることをアピールすること)が何よりも重要だったと思います。しかし共同体が崩壊し、社会の変動のスピードが速い時代になると、「必要とされる一定水準の能力」が多様になり、かつ短期間で変化してしまうので、人間を評価する基準としての機能を果たさなくなるのです。
Q:最近、blogとかが流行ってますが、日記をつけるということも自己物語の一つといえるでしょうか。
A:そうですね。物語というには、自己物語に限らず、語り手(書き手)と聞き手(読み手)が存在してはじめて成立するもの、すなわちコミュニケーション行為です。交換日記やホームページで公開する日記はもちろん、誰にも見せるつもりのない日記にもやはり読み手は想定されている。それは誰かに読まれちゃうかもしれないという意味ではなくて(それもあるけど)、一人の人間が書き手と読み手の一人二役を演じているということです。
Q:追跡調査の対象者にはどのようなメリットがあるのですか。私も自分の昔の語りが記録に残っていたら面白いだろうなと思いますが、同時に嫌な思いもするだろうなと思います。
A:考えられるメリットとしては、(1)こういう経験は誰もができるわけではない。一種の「選ばれし者」という感覚。(2)誰にとっても人生は演劇だが、であればより多くの観客に観てもらえる方が張り合いがあるということ。(3)人に語れる人生を生きようというモチベーションが働くこと。(4)追跡チームや他の対象者との間に連帯感が生まれること。
Q:私は数年前のとある出来事が人生の中でのひとつの転機だと思っているのですが、それを人に話すことができません。これはやはり他人に受け入れられるかという不安があるからでしょうか。
A:人に語れない転機というのは珍しいものではありません。転機を語るということは一種の自己呈示であり、自己呈示の機能は印象管理です。ですからある転機を語ることがあなたのイメージにそぐわないものであると判断される場合、転機の語りは抑圧されます。ただし、語れないものであればあるほど、語りたいという思いも強いので、抑圧された語りは語られるべき特別の他者の出現を待っているのだとも言えます。人に秘密を打ち明けるという行為に人間関係を親密なものにする作用があるのはそのためです。
Q:社会学に突き進んでいくと物事すべてを超客観的に見るようになってしまう気がします。先生は感情的に取り乱すことがあるのですか。
A:私はターミネーターか(笑)。私はもともとは文学志望で途中から社会学に転向した人間です(分析の素材に文学作品や映画や歌謡をよく使うのはその名残でしょう)。自分の中に情緒的な要素が多分に存在することを自覚していて、それゆえに、それが社会現象の冷静な分析を妨げることがないように気をつけています。人間は意識しなければ物事をすべて主観的に見てしまうので、意識して客観的であろうと努めるくらいでちょうどよいのではないかと思います。
●感想
僕も中学生のときは競馬の騎手を目指していたのでトニーの物語にはドキッとしました。★馬場に縁があるね。
トニーの奥さんの髪型がクレオパトラみたいでびっくりした。★クレオパトラというよりもコシノジュンコかと思っちゃいました。
トニーのように目的に向かって進む生き方は近代人の典型的生き方だということですが、今は逆に目的を決められずに迷っている人がたくさんいますよね。★未来志向の社会だからこそ目的が決まらないことが「悩み」になるのです。
下層階級と上層階級で子供のときからしゃべり方がまったく違うのに驚きました。★社会学者ブルデューがいうところの「ハビトゥス」の違い。
一番興味があったチャールズがあまりフィーチャーされなくて残念でした。ベルトコンベアーとかの考え方、かっこいいと思いました。★ホント?
使い古された比喩だと思うけど・・・・。1970年代の大学生はみんなああいうふうなものの言い方をしてたんですよ。体制に反抗することがファッションだった。
スージーのあまりの変わりように思わず笑ってしまった。私の場合、10歳にして結婚はしないと決意を固め、20歳のときその決意を再確認。そして今日、ブルースとなら結婚してもいいかなと思った。★ブルースはこの放送から7年後の42歳のときもまだ独身でした。行きますか、バングラディッシュへ。
どの事例も21歳は冷めた感じがしました。私もそうなのかな。★大人の世界への移行期で、自分で自分を取り扱いかねている感じだったね。内面のいらだちが外部に出ちゃうんだ。
来年の成人式のとき、10歳の時に小学校の校庭に埋めたタイムカプセルを開けます。たくさん将来の自分に向けた手紙を書かかされたので、何を書いたか覚えていません。ちょっと楽しみです。★20歳のときに大学生であることはかなりの確率で予想できているはずだから、問題は何の勉強をしているかと、恋人の有無であろう。さて、当たっているか。
僕は小学校の卒業文集に「一獲千金」と将来の夢を書きました。まだ可能です。★「一攫千金」が正しい。
前の人の頭(大きい)で字幕が見えない(汗)。★よくあるよね。昔の洋画の字幕は縦書きが多かったように思う。いつから横書きが主流になったのだろう。
毎回配布される講義記録の「感想」の部分ですが、最後の方は先生の自作自演ではないのですか?★そうではないことがこれでわかったでしょ。