2004.4.28
社会学研究9「社会構造とライフコース」
講義記録(3)
●要点「近代社会と職業」
近代社会の「人生の物語」の二大テーマの1つである「成功」は、職業選択ならびにその後の職業経歴と強く結びついている。しかし、前近代社会において、職業は選択するものではなく、家業として継承するものであった。子どもたちに期待されていたのは、「将来、何かになること」ではなくて、「早く一人前になること」であった。ここでは職業(家業)は社会階層と結びついており、個人はたまたま生まれ落ちた階層(=身分)の中で一生を送った、階層間の移動(社会移動)は著しく制限されていた。
しかし家業に熱意を感じられなかったり、家業以外の職業に憧れたりした人々はいたはずである。そうした人々を抑えるために、前近代社会には社会有機体説(社会全体を一つの生命体と見なして、諸部分の全体への貢献を説く思想)的な職業観を必要とした。たとえばルター(16世紀の宗教改革者)によれば、職業は天職にほかならず、神の与えてくれた職業に専念することが、神の思し召しに叶うことであった。また石田梅岩(18世紀の儒者)は、君(将軍)を助けることは四民(士農工商)の職分であるのだがから、「士農工商共に我家業にて足ことを知るべし」と説いた。
近代社会にも社会階層は存在するが、職業選択の自由が認められたことで、階層間の移動は活発になった(イデオロギー的には、社会有機体説に替わって、あらゆる社会関係を個人と個人が取り結んだ契約、したがって必要に応じて破棄することのできるものと見なす、社会契約説が台頭した)。子供たちは、「大きくなったら何になる?」という質問に答えることで、上昇的社会移動(立身出世)に向けて動機付けられる。最初は、「ケーキ屋さん」とか「おもちゃ屋さん」とか、本人の欲求と直接的に結びついていた回答も、しだいに「社会的によい職業と思われている職業」=「社会的威信の高い職業」と結びつけられていくようになる。
「職業の社会的威信」はデュルケイムのいう「社会的事実」の一種である。それは社会のメンバーに広く共有されており(1975年のSSM調査から明らかになった職業の威信得点のリストを配布)、あたかも物理的事実(モノ)のように、個人の職業選択という行為に影響を与える。かくして、近代社会では、社会的威信の高い職業へ到達するための競争が激しくなるのである。
●質問
Q:教育とは洗脳であるということになりますか。
A:そういう言い方をする人もいるようですが、教育の中の一つの極端なスタイル(隔離的・集中的・一元的・イデオロギー的教育)が洗脳であるといった方が適切でしょう。教育=洗脳ではなくて、教育⊃洗脳であると。
Q:はじめは外在的な社会的事実がどうして知らず知らずのうちに個人に内在化していくのでしょうか。
A:自分が意識的、無意識的に行った行為が、すでに社会的事実を内在化している周囲の他者たちから、褒められたり(規範的に行為した場合)、叱られたり(反規範的に行為した場合)、ということを日々経験することを通して、何が規範的な行為であるかを学習(内面化)してゆくのです。
Q:どうして私たちは「ドクター>スチュワーデス>ナース>ウェイトレス」という順番で職業的威信を感じるようになったのですか。
A:職業的威信に影響を与える要因はいくつか考えられますが、ここでは3つほど挙げておきましょう。第一に、その職業に就くことの難易度。第二に、その職業から得られる収入。第三に、労働そのものの性質。われわれはその職業に就くことが容易ではなく、高い収入が予想される、知的労働に威信を感じる傾向があります。とくに難易度は重要です。なぜなら難易度の高い職業に就くことは、自分が優れた人間(社会的勝者)であることの証明となるからです。
Q:職業の威信得点の表中の標準偏差ってなんですか。
A:威信得点は平均値ですが、標準偏差は素データ(平均値が計算される前の得点)のばらつきを示す尺度です。たとえば、「大会社の社長」と「大学教授」は威信得点83.5で同じですが、標準偏差は前者が21.5、後者が19.7となっています。これは前者の方が回答者による評価のばらつきが、後者の場合よりもいくらか大きいことを表しています(具体的な計算式については統計学の本をご覧下さい)。
Q:私の父親は開業医です。両親、祖父母らの期待を裏切って、私は医学部を受験しませんでした。世襲という言葉は古いのかもしれませんが、一部では残っていると思います。社会学ではこの状態をどう説明するのでしょうか。
A:現在でも、歌舞伎などの伝統芸能の世界には世襲制が残っています。しかし、医者の子供が医者になるというのは世襲制とは違います。なぜなら、医者の子供ではあっても、医者をめざしている他の子供と同じように、大学の医学部に入り、医師国家試験に受からなければ医者になれないわけですから。医者の子供が医者になる確率が他の子供より大きいのは、「医者になってほしい」という親の期待が大きいこと、医学部に入るためにかかる高い教育費を支払う経済力が親にあること、などの点で有利であるからです。一般に高学歴の親の子供は高学歴である傾向がありますが、社会学者ブリュデューはこうした現象を「文化資本の再生産」と呼んでいます。
Q:会社名を聞いて、「オォ!」と言われるような会社に就職したいと思うのは、プライド(自尊心)があるからだと思いますが、プライドも社会化された社会意識ですか。
A:普通、社会意識という言葉は個人意識に対して使われるもので、プライドは個人意識の一種です。ただし、個人意識ではあっても、それは他者の存在があってのものですから(他者が自分を評価してくれなければプライドを保持することができない)、「腹が減った」とか「眠い」といった意識とは違う、社会的存在としての人間に固有の意識です。
Q:「天皇」というのは職業ですか。
A:職業という言葉を最大限に拡大解釈して社会における個人の役割とすれば、天皇も職業だと言えなくはありません。しかし、通常は、収入を伴わない労働は職業とは見なしませんから、天皇(およびそのご家族)は職業ではありません。では、何かといえば、身分の一種です(憲法と皇室典範という法律によって定められているところの)。雅子様はいまご体調がすぐれないと聞いておりますが、公務が原因であったとしても、「皇太子妃」は職業ではないので労災は適用されません。
Q:社会移動の活発化と資本主義の発達とは関連がありますか。
A:もちろん。社会移動が活発になるための一つの条件は、家業の消失です。継承するべき家業が消失してしまえば、子供は否応なしに親と違う職業に就かねばなりませんから。資本主義の発達は、農業から商工業への労働人口の移動を伴いますから(農業自体が衰退するわけではなく、機械化されることで余剰労働力が生まれる)、必然的に社会移動は活発になります。
Q:アジア諸国の中で日本だけがいち早く近代化を達成した理由を、日本古来の職業観から説明できないでしょうか。
A:やってやれないことはないのかもしれませんが、かなり強引なものになるでしょうね。むしろ、明治の政治的リーダーが下級武士の出身であったこと(個人の立身出世と国家の立身出世のシンクロナイズ)や、低い社会階層の優秀な人材をすくいあげる学校制度の普及などから説明する方が妥当でしょう。
Q:自分のやりたいことや好きなことにかかわる職業と、世間一般で評価の高い職業の関係はどのようになっているのですか。
A:就職問題の主たる当事者は若者ですが、若者に人気のある職業のリストを作ったとすると、それはSSMの社会的威信の高い職業のリストとは別のものになるでしょう。ズレが生じる理由は2つあります。第一に、SSMのリストは幅広い年齢層の人からとったデータであるとはいっても、基本的に「大人の職業観」を反映したものであり、「若者の職業観」とはイコールではないから。第二に、若者も当初(子供の頃)は「大人の職業観」の影響を受けて、世間的に評価の高い職業をめざしていたのかもしれませんが、実際にそうした職業に就くことは容易ではなく、より評価の低い職業へと目標を修正せざるを得ないので、であれば、世間的な評価よりも自分の関心や好みを優先しようという意識が働くから。つまり、若者は(一般に人々は)、職業を威信(世間の評価)という軸と、好き嫌い(個人の評価)という軸からなる二次元の座標系の中に位置づけて、自分自身の職業選択を行っているのです。
Q:先生には昔なりたいものがありましたか? 私には何もなくて困っています。せっかく職業選択の自由があるのに、複雑な気持ちです。
A:小学生の頃は天文学者になりたかった。しかし色覚に障害があることがわかり、自然科学は断念しました。大学生の頃は社会学者になろうと思っていました。そして運よくなることができました。いわゆる就職活動の経験はありません。企業で働く自分というものがイメージできませんでした。企業で働くということは(正社員であれアルバイトであれ)、結局は、経営者や株主の金儲けのために働くわけで、魅力的な人生とは思えませんでした。当時はNPOなんて言葉はありませんでしたが、非営利的な人生を志向していたんですね。学者っていうのは、私のイメージでは、そうした生き方の一つの典型としてあったわけです。ですから「産学協同」なんて言葉を聞くと、虫酸が走ります。というわけで、企業に就職するという枠組みで考える限りは、私もあなたと同じように、なりたいものは何もありませんでした。
●感想
個人の自由や個性ということが叫ばれる今日においても、30年前と同じような職業の優劣が存在しているというのは非常に不思議ですね。★個性ということが「叫ばれる」のは、人々の生き方が非個性的であるからです。
職業と同じく学校にも序列があり、それに影響されて進学先を決めていますね。私は大正大学の臨床心理学科に入ろうと思っていましたが、ここに受かったのでこっちに入ってしまいました。★南無阿弥陀仏。
スチュワーデスの人気には、若い男性からの人気という特殊な要素が入っているのではないかしら・・・・。★言い忘れましたが、1975年のSSM調査の対象者は「15歳以上の男性」なんです。したがって職業の社会的威信のリストは、「男性の目から見た」序列であるということです。
職業威信のリストに「弁護士」が入っていなかったのが気になりました。★威信最上位の「裁判官」と同じカテゴリー(法曹関係者)に入ります。
私の父は国家公務員です。私はなぜか公務員にはならないとずっと思ってきたけど、近頃、公務員が一番向いているのかなあと思っています。反発を感じたり、魅力的だったり、親の職業は子供に何らかの影響を与えているんですね。★私の父は千代田区役所の職員で、図書館で働いていました。月曜が休日でした。いまの私が月曜日の授業を担当しないのはたぶんそのせいです。
社会的評価の高い職業に就くことは、ときに他人から妬まれ、自己提示における「私は愛されるべき人間だ」ということが実現できなくなるのではないでしょうか。★競争社会では、人は自分よりランクの高い人間を妬み、ランクの低い人間を見下すという「妬みと軽蔑の連鎖」の中に組み込まれやすい。だから、ランクの高い職業に就いている人間の方が、自己提示の技法が洗練されたものになるのです。アメリカ大統領の自己提示はその最たるものです。
いま、『白い巨塔』を読んでいるのですが、ドクターになるための競争に参加すらできない人がたくさんいると感じます。これこそ不平等・・・・。★参加料が払えないわけだ。競争とはいっても、運動会の徒競走のように、全員が同じスタートラインから走り始めるわけじゃない。親の属する階層によって、スタート位置の有利不利が決まる。
自他ともに認めるアウトローな人間なので、いわゆる「普通の人間が社会で生きる」プロトタイプを見れて面白い。先生の説明するようなライフコースを歩んで来ていないことが分かって安心しました。★「有名私立大学に通うアウトロー」というのは、アウトローのプロトタイプからも外れている。アウトローというのは、昔は、ギターを抱いて全国を渡り歩くものだった。
家が代々旅館で、将来女将になることが決まっている友達がいます。でも本人はすごく嫌がっています。女将って悪くないと思うんですけど・・・・。★TVの旅番組のせいで、「美人女将」を期待されるのが重荷とかでは・・・・。
最近、いたるところで「ぷろりん」「ぷろりん」と聞きます。響きはかわいいので、読んでみようと思います。★「ぷっちんぷりん」ように甘くはない。
「プロ倫」を演習の課題で読まなければなりません。キツいです。そういう場合のコツとかないですか?★ウェーバー研究者が書いた本を併せて読むことです。たとえば、大塚久雄『社会科学の方法』(岩波新書)なんて名著ですよ。
1年生のとき、オープン科目の「グリム童話から日本社会を読む」(だったかな?)という授業で「プロ倫」を読みました。一人ずつ何ページか要約しなければならず、地獄でした。★キリスト教の話だから。
カルビンの予定説により過剰に家業に励んだ人々の考えは理解できない。決まっているならわざわざ証明しなくてもいいのに・・・・。★決まってはいても、自分がどっちに決まっているのかがわからないというのが悩ましいところでね。救われたい、救われる方に入っていることを証明したい、と狂おしく思うわけです(とウェーバーが言ってました)。
先生はビーズの「Calling」という曲をご存じですか。これも天職という意味から名付けられた曲だそうですが。内容はラブソングですが、とてもよい曲なので、ご存じでなければ、一度聴いてみて下さい。★♪君がいるなら戻ってこよう、いつでもこの場所に〜、TVドラマ「ガラスの仮面」の主題歌だったよね。
説明では職業の序列というのがまずあって、全員がその上位の職業を目指す競争社会ということだったが、個人の特性という視点がないのでやや不自然な気がした。★個人的要因は社会的要因が個々人の生活や人生に影響を与える際の介在要因として考えます。
就職活動をしていると、今日の職業の序列を痛感します。一般職より総合職が、9時−5時の職より昼夜を問わずのクリエーターが、また何より「先生」と呼ばれる職業の序列を高いと感じます。それに惑わされず、自分の適性を見極めるのがとても難しいです。★「適性」って何なんだろうね。そういうものが本当に存在するのだろうか。「適性テスト」なる怪しげなものによって作り出されたものが「適性」であるに過ぎないのではなかろうか。
職業に序列があるのは納得がいきます。医師、弁護士、政治家などは「先生」と呼ばれていて、それは尊敬の念の表れだと思います。★「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし」っていう川柳がある。「先生」「先生」と呼ばれていい気になっている人間を揶揄したものです。
「大学教授」は威信が高いですね。★あっ、わかっちゃいました。内緒にしておきたっかのだが。
どの職業もなくてはならないのに、どうして人間は何でも序列化するのか、とても悲しくなりました。★あなたはどれくらい悲しいですか。「1.非常に悲しい」「2.すこし悲しい」「3.それほど悲しくない」「4.まったく悲しくない」。・・・・社会調査というのも悲しいものです。
いまだによく「何になりたいの?」と聞かれますが、「なりたいもの」が応えられません。序列の高い職業はどうせなれないし、一般的な会社で働ければいいと思ってしまいます。★「一般的な会社」ってどんな会社? 「トアールコーポレーション」とかって名前だろうか。ともあれ、明日があるさ。
この教室で授業を受けている大多数の人が上昇的社会移動の一環として早稲田大学に入学したのではないでしょうか。文学部だから違うか(笑)。★「第一文学部」の人が多いわけでしょ。
小説家になると言っていた昔がなつかしい。なりたくなくなりました。★社会有機体説的にはいいことです。小説家はそんなにたくさんいらないから。
社会的事実が内面かする・・・・私の主観って果たしてあるんですかね。もちろん内在化した社会的事実、それに対する自分の心理とかすべてひっくるめて「私」なんでしょうが・・・・。ま、いいです、「私」という物理的事実があるんですから。★『シックスセンス』のブルースウィルスは、自分が幽霊だということに気づいてなかった。