2004.6.16

 

社会学研究9「社会構造とライフコース」

講義記録(9)

 

●要点「戦争と人生の転機の物語」

 満州事変(1931年)、日中戦争(1937年)、太平洋戦争(1941年)と続く戦争の時代の中で、人生の物語は国家の物語へと回収されていった。その端的な例は、読売新聞の人生相談欄(最初「身上相談」という題で途中から「悩める女性へ」に改題)の消滅である。人生相談の記事は1914年に初めて登場して以来、1933年まではほぼ毎日掲載されていたが、1934年にそれまでの3分の1になり、1936年にさらに半減され、ついに1937年5月14日を最後に紙面から完全に姿を消した。新聞というメディアで、個人的な悩み、私的な問題を語ることが戦時には相応しい行為とはみなされなくなったのである。

 もちろん戦争は以前からあった。日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、第一次世界大戦(1914年)。しかし満州事変に端を発する「15年戦争」はそれまでの戦争と違って、国民精神総動員運動(1937年)や国家総動員法(1938年)に象徴されるように、「総力戦」であった。ありとあらゆることがらが戦争遂行という目的のために、「お国のため」というスローガンの下に、動員されていった。日露戦争後、国家の物語と人生の物語は乖離し、成功≠幸福という命題が支配的になっていたが、「総力戦」はそうした趨勢を払拭した。

 ただし個々人の人生の水準で見れば、「総力戦」は多くの人々の人生に転機(人生の方向の転換)をもたらした。転機の物語は、一般に、大切なものの剥奪に始まり(あるいは、剥奪された自己欺瞞的な人生を生きていることの突然の自覚に始まり)、絶望や焦燥(アノミー状態やストレス状態)を経由して、喪失したものと機能的に等価であるものの探索と発見、そして人生の再スタートという経過をたどる。こうした物語の構造は、転機一般に共通のものであって、戦時の転機の物語に固有のものではない。戦時の転機の物語に特徴的なことは、同じ時代の幅広い年齢層の男女に同時多発的に経験されるという点である。戦争は社会の構造に大きな、しかも不連続な変動をもたらす。そうした変動がその社会に生きる人々の人生にも不連続性を与え、「死んでいった者」と「生き残った者」、「だました者」と「だまされた者」、「偽りの自分」と「本当の自分」といった二項対立的なテーマの下でその不連続性が語られる。戦争体験は戦中のものであるが、その語りは戦後のものである。われわれはそこに戦後復興期と高度成長期のエートス(時代精神)を読み取ることができる。

 

●質問

Q:吉田秀和さんのように丙種合格で事実上不合格とされた人は、兵役を免れたと喜ぶものなんですか、それとも悔しがるのでしょうか。

A:そういう人の書いた自伝なんかを読むと、「丙種合格」と判定されたときに、司令官に向かって「残念であります」と答えるのが慣習だったようです。それに対して司令官は、「いや、残念に思うことはない。どうか君は学問という道で奉公の誠を尽くして下さい」などと慰めの言葉をかける。で、帰宅してから赤飯を炊いてもらって丙種合格を祝うのだそうです。

 

Q:私の祖父は戦争中に徴兵されましたのですが、戦争の話をするのが好きです。割と意気揚々と話します。戦争体験者にとって戦争は辛い思い出なのではないでしょうか。

A:必ずしもそうとはいえないのです。一般的な理由は3つあります。第一に、戦争と人生の若い時代が重なっている人々にとっては、たとえ戦中ではあっても、それはある懐かしさをもって語られる傾向があります。戦争が懐かしいのではなくて、若い時代が懐かしいのです。第二に、戦時中の生活、とくに軍隊での生活は、通常の社会的な上下関係(出身階層や学歴)が効力を失い、下層の出身の人や社会の周辺にいる人にも成功(手柄を立てる)の機会がめぐってきました。一種の実力主義的状況が生まれたわけです。第三に、常に死と隣り合わせの状況にいたわけですから、人と人との交流が心にしみることもあったでしょう。

 

Q:人生の転機って誰にでも訪れるものなのですか。

A:そういうことはありません。転機のない人生というものもあります。また、訪れる場合でも、一度だけということもありません。たくさんの転機を経験した人生というものもあります。転機というのは過去の出来事経験を現在の人生観という主観的なフィルターを通してみた場合の本人の解釈ですから、実際に波瀾万丈の人生だったのかということはそれほど重要ではないのです。むしろ人生の方向感覚の敏感な人(どういう人生を生きるかに意識的な人)であるかどうかがポイントです。

 

Q:喪失体験を一度も経験せずに人生を終わる人もいるのでしょうか。

A:人生の終わり(死)は究極の喪失体験です。ですから誰でも喪失体験を一度は経験する。ただし一瞬の死の場合は、死を体験として対象化する(deathをdyingとして経験する)時間がないから、例外かもしれません。

 

Q:私は大学生活の中に自分のやりたいこと、やらなければならないことを見出すことができません。高校の頃は、人の上に立ちもっと輝いていたのに・・・・。そう思うことがたびたびあります。もっと充実した日々をみつけたい。もっと一日を大切に生きたいと思うと同時に、将来に対する不安がおしよせてきます。そんな私にも転機は訪れるのでしょうか。

A:人生相談みたいですね(そのものか)。転機というのはそれを強く望んでいる人には訪れやすい。なぜならそういう人は変化のきっかけに対して敏感な状態にあるからです。この点をもう少し説明すると、われわれは物理的に近い距離にあっても関心のない事物の存在には気づかないし、逆に関心のある事物なら離れた場所からでもその存在に気づく。つまり世界(環境)というものは個人の関心や欲求によって構造化されている。ですから、「何か」を一生懸命に探しているときというのは、その「何か」と出会いやすい状態であるといえるわけです。ただし、話を複雑にして申し訳ないけれども、人は意識のレベルで変化を望みつつ、無意識のレベルで変化を拒んでいるということがある。いうなれば自転車のペダルを一生懸命に漕ぎながらブレーキを強く握っているような状態で、これでは前へ進むことは難しいでしょう。なぜそういう状態になるのかといえば、第一に、旧い自己イメージに固執しているからであり(やっぱりこれまでどおりの自分でいたい)、第二に、変化に伴うリスクを恐れているからです(失敗したらどうしよう)。

 

Q:レディネス状態のときに求めている「何か」と出会うことができなかったらどうなるのですか。

A:探索活動のエネルギーが徐々に低下して、アパシー(無気力)状態へと移行するでしょう。アパシー状態はアノミー状態ほど深刻なものではなく、探索活動が不活発な状態、探索活動再開のための充電期間といえます。アパシー状態を脱するきっかけというのも転機の物語では重要な要素です。

 

Q:「エートス」ってなんですか。辞書を引いてもよくわかりませんでした。

A:バレーボールでセッターがスパイカーの打ちやすい所にボールを上げることで、主に関西のチームの用語です。関東では「イートス」と言います。・・・・冗談はさておき、「エートス」(ethos)とはある時代のある社会に普及しているものの見方、考え方のことで、ドミナントな人生の物語の基本テーマという言い方もできるでしょう。これまでの授業に出てきたものでいえば、「成功」「幸福」「努力」「弱肉強食」などはその例です。

 

●感想

 戦争を経験した人々の人生に対する悩みと私たち現代の大学生たちの人生に対する悩みと比べるものではないかもしれないけれど、自分たちはこんなことで悩んでいていいのかと申し訳なくなってしまいます。★申し訳なく思うことはありませんよ。人は自分が生まれた時代の中で悩むしかないのですから。

 

 戦争体験がその人の人生の大きな動機付けになっていることを考えると、今の若者が自分探しでのらりくらりしてフリーターやってなかなか指針を見つけられないでいるのは、日本が平和だからなのかなと思いました。だからといって戦争を起こして若者の尻をたたくようなことになってほしくはありません。★個性尊重のソフトな管理社会では、若者はゆるやかな剥奪を経験し、可能性の喪失過程としての人生を生きることを強いられる。これはけっこうきついと思いますよ。

 

 戦時中は過度に「われわれ」>「わたし」であり、今は過度に「わたし」>「われわれ」ではないでしょうか。★「個人化」ということ。しかし、いつまた歴史の振り子が再び大きく反対方向に揺れるときが来るかもしれません。

 

 読売新聞の「人生案内」を毎日読んでいます。今日は確か「義母と同居したくない30代主婦」だったと思います。こういうの読んでいると結婚したくなくなります。★いいえ、「同居迫る義母『施設に入れたら』40代主婦」です。夫の母親が同居をしたがっており、その障碍となっている妻(相談者)のアルツハイマーの母親を「施設に入れたら」と言ってくるのだが、それは娘としてできないという相談です。ふぅー。ちなみに去年の8月7日の「人生案内」が「義父母の同居宣言に困惑30代主婦」でした。

 

 最近、岡田恵和脚本の『恋セヨ乙女』というドラマにはまっています。先生も岡田さんのドラマお好きでしたよね。★『恋セヨ乙女』の続編の『もっと恋セヨ乙女』ですね。酒井若菜は岡田のお気に入りなのかな、『ホームドラマ』(やはり岡田脚本)とかけもちで出演しています。

 

 24時間前に恋人と別れた私はたぶんいま軽くアノミー状態です。授業にも身が入りません。あまりにタイムリーな話題でけっこうつらかったです。戦争ほど深刻ではないですけどね。★いつの日かまた恋セヨ乙女。

 

 塾で社会科を教えていて、高度経済成長についてはただただそうなったとしか語ってきませんでしたが、そのようなエートスも後押ししていたんですね。★社会学の学生ならそういう視点もないとね。

 

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