映画をめぐる断章

−研究室だより・1997年秋−

 

  小学生の頃、平日の昼下がりの時間帯に「奥様洋画劇場」という番組をテレビでやっていた。私は学校から 帰ると毎日これを見ていた。なにしろ週に5本も放送するのだから、たいていはB級映画だったのだろうが、 『自転車泥棒』や『禁じられた遊び』といった名作も混じっていた。もちろん当時は、B級とか名作と いった先入観などなく見ていたはずだが、やはり名作と呼ばれる映画は子供心にもジーンと来るものが あったらしく、記憶に残っている。とくに『自転車泥棒』のラスト、大切な自転車を盗られて途方に 暮れた父親が、他人の自転車を盗んで捕まってしまい、それを男の子が不安げな眼差しで見つめている 場面は、ちょうど自分とその男の子が同い年ぐらいだったこともあって、本当に悲しく切なかった。 それは、ずっと後になって、野村芳太郎監督の『砂の器』を見たときに、らい病の父親が男の子を 連れて辛い巡礼の旅を続ける場面で感じたのと同じ悲しさであり、切なさだった。気が弱くて、 しかし、子供思いの父親というキャラクターに、私は弱いのかも知れない。そういえば、大好きな TVドラマ『北の国から』の黒板五郎(田中邦衛)もそういう父親だ。

 テレビではなくて、映画館で見た最初の洋画は『ウエストサイド物語』だった。中学生のとき、どこかで タダ券が手に入り、父親と二人で、有楽町の映画館まで見に行ったのだった。字幕を読むのは面倒だし、 普通の映画ではなくミュージカルというのも何となく気が乗らなかったのだが、いざ始まってみると、 その歌と踊りの迫力にすっかり圧倒されてしまった。とくにジョージ・チャキリスとタッカー・スミス の二人が格好良かった。あの映画を見た男の子はみんなそうしたと思うが、私もジョージ・チャキリス のように上体と片足でV字型を作ろうと努力し、タッカー・スミスのように「クール・クール・クール ・ボーイ」とクールな表情で呟きながら指をパチパチと鳴らした。それはちょうど高倉健の ヤクザ映画を見終わって、映画館から出てきた男たちが、眉間に皺を寄せて街を歩くのに似ていた。

 あるいは初めて映画館で見た洋画は『いつも心に太陽を』だったかもしれない。中学校の2年とき、 担任の社会科の先生に連れられて蒲田駅の東口の映画街にクラスのみんなと見に行った。ニューヨーク の下町の高校に赴任してきた黒人教師(シドニー・ポワチエ)が、生徒たちと衝突しながら、しだいに 彼らと心を通わせていくというストーリーで、いまでこそよくある学園物だが、当時は校内暴力なんて 言葉は知らなかったから、生徒がナイフで先生に向かっていく場面には肝を冷やした。女生徒役で 出ていたルルという歌手の歌う「サー・ウィズ・ラブ(先生に愛を込めて)」という主題歌が とても素敵で、そのレコードを小遣いで買ったほどだ(映画を見てサウンド・トラック版を買ったの は、この映画と『モスクワは涙を信じない』という映画だけ)。私たちを映画館に連れていってくれた 芳賀という名前の先生は、勝新太郎に似た無頼派の風体の人だったが、なぜか学年の途中で教師を 辞めて近所の釜飯屋の婿養子になってしまった。私たちは狐につままれた思いだった。その釜飯屋 の前を通るとき、暖簾の間から板前になった先生の姿がチラリと見えたりすると、私は見ては いけないものを見たような気持になり、あわてて目をそらしたものだ。いまになって思うと、 あのときの映画鑑賞会は、先生なりの別れの儀式だったのかもしれない。

 大学生になって、映画館には原則として1人で行くようになった。上映開始の直前に飛び込んでもたいてい 座れるし、心おきなく涙を流すこともできる。もちろん原則には例外はつきもので、女性と映画館に 行くことはあった。一週間に3回同じ映画を、しかし、一緒に見る女性は3回とも違うなんてことも あった(別に自慢しているわけではありません)。評判の映画を相手の女性が「見たい」と言い、 「僕はもう見たから」と言えず(ここら辺が気の弱いところで・・・・)、そういうことになったのである。 しかし、連れがいると、一人のときと比べて、いまひとつ映画に集中できない。隣の席にいる人が 目の前の映画を楽しんでいるかどうかが気になるのである。「長いわね、まだ終わらないの?」と でもいう感じで腕時計をチラチラ見る仕草をされようものなら、本当にいたたまれない気持になって しまう。そもそもせっかくのデートなのに、2人で前方を見つめて、2、3時間も無言でいるということ がもったいないと思うのである。

 女性と一緒に映画を見てよかった数少ないケースの1つは、『黄昏』という映画を後に妻となる女性と見た ときのことである。それは湖畔の別荘で暮らす老夫婦(ヘンリー・フォンダとキャサリン・ヘプバーン) のところへ、娘(ジェーン・フォンダ)が孫を連れて遊びに来て、何日間かを過ごすという、ただ それだけの、アメリカ版小津安二郎みたいな映画で、夫婦の絆、父と娘の和解、祖父と孫の交流が しみじみと描かれていた。ふと隣を見ると、彼女が涙ぐんでいる。おそらく自分の家族と重ね合わせて、 いろいろな思いが浮かんできたのであろう。映画館を出た後、私が「僕たちもあの老夫婦みたいに なりたいね」と言うと、彼女はコックリとうなずいた。多分、あれがプロポーズというものであったと 思う。もしあのとき2人で映画を見なければ、互いの人生は別のものになっていたかもしれない。 ちなみに『黄昏』は1981年度のアカデミー作品賞を受賞した。私たちの結婚はその2年後だった。

 最後に邦画と洋画それぞれに「マイ・ベスト10」を挙げておく(ただし、一監督一作品とする)。

 邦画               洋画
 1.泥の河             1.ウエストサイド物語
 2.東京物語            2.十二人の怒れる男
 3.幸福の黄色いハンカチ      3.旅芸人の記録
 4.冬の華             4.道
 5.飢餓海峡              5.自転車泥棒
 6.天国と地獄             6.レイダース 失われたアーク
 7.砂の器             7.エイリアン2
 8.風の谷のナウシカ               8.フィールド・オブ・ドリーム
 9.Shall weダンス?              9.大脱走
 10.の・ようなもの           10.スモーク
番外 若大将シリーズ          番外 オーメン
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