「学担」の日々

研究室だより・2000年冬

 

 夜11時を回った文学部のキャンパス。中庭から校門へと続くスロープに人影はない。冷気が冬の夜空から 降りてくる。胸いっぱいに吸い込むと、気管の末端から濁った血液に新鮮な酸素が送り込まれていく のがわかる。途端に、空腹であることに気づく。地下鉄に乗る前にカレー屋「スパイシー」に寄って 行こうと思う。守衛さんに挨拶をして校門を出る。こんな時間でも「am.pm」や「あゆみ書房」には 学生とおぼしき若者たちの姿がある。きっとこの街に住んでいるのだろう。都会に住めること は単身生活者のメリットの1つだ。私はこれから1時間かけて我が家まで帰らなくてはならない。 今日も午前様だ。店に入り、カウンター席に座り、チキンカツ・カレーを注文する(一番の好物は ロースカツ・カレーなのだが、カロリーの点で難があるので、我慢する)。私の財布の中には 「2月末日まで有効」のこの店の割引券がたくさんある。「学担」になってからのこの4ヶ月で すっかりこの店の常連になってしまった。

 

***  ***  ***

 

 去年の6月のある晩、書斎の机の上の電話が鳴った。

 「東洋哲学専修の土田です。実は、先生にお願いしたいことがあって、お電話いたしました。」

 土田健次郎さんは早稲田大学文学部の教授で、つい先日の教授会で第二文学部の次期学部長に選出されたばかりの方である。年齢は私よりも5つほど年上で、この若さでの学部長というのはあまり例 がないであろう。それだけ人柄と実務能力が評価されているということだが、見事な白髪と 立派な体格は実年齢での「若さ」をカバーして学部長としての品位と貫禄を十分に補っている。

 その土田さんが私に「お願い」があるという。えっ、それって、もしかして・・・・。一つの予感が私を緊張させた。

 「単刀直入に申し上げます。先生に第二文学部の学生担当教務主任をお願いしたいのです。」

 予感は半分当たり、半分外れた。当たったのは「教務」への就任の依頼であったことで、外れたのは、依頼された役職が「教務担当」ではなく「学生担当」、しかも「副主任」ではなく「主任」であったことだ。

 「いかがでしょうか?」

 「・・・・・・・・」

 私は頭の中で「晴天のヘキレキ」という言葉を思い浮かべていた(けれど「霹靂」という漢字はすぐには思い出せなかった)。

 

 大学の教員には学内で3つの仕事がある。教育、研究、行政である。教育と研究については説明の 必要はないであろう。問題は行政である。大学というところは基本的に学部ごとに自治的に 運営されている。たとえば文学部の教員の嘱任も解任も文学部の教授会での承認を必要とする。 自分たちのことは自分たちで決めるということである。しかし、実際には学部運営に関するありと あらゆる問題をひとりひとりの教員がいつも考えているというわけにはいかない。そこで たとえば図書に関する問題は図書委員会(正式名称は戸山図書館運営委員会)、入試に関する 問題は入試委員会というものを作って、その委員になった教員たちに集中的に考えてもらい、 出てきた案を教授会で審議し、承認する(場合によっては否認する)というやり方をとっている。こうした種々の専門委員会を統括するのが学部長を含めて5人の教員で構成される「教務」と 呼ばれる組織である。学部長は教授会での選挙によって選ばれるが、後の4名(教務担当教務主任、 同副主任、学生担当教務主任、同副主任)は学部長の指名で決まる。そして、いま、その指名 (したいのだが引き受けてもらえるかという依頼)の電話が私のところにかかってきたというわけ である。総理大臣が行う組閣の作業にちょっと似ている。

 ただし、組閣の場合と決定的に違うのは、多くの国会議員が入閣(大臣就任)を切望しているのに 対して、多くの大学教員は「教務」の一員になることを回避したいと考えている点である。主たる 理由は二つあって、第一に、多くの教員は教育と研究を教員の本分と考えており、行政という 「二次的な」仕事に大切な時間を取られたくないと考えていること。第二に、多くの教員は自分と いう人間を「行政的無能力者」とみなしており、とてもじゃないがそういう仕事は自分には務まらない と考えていること。したがって、多くの教員は「教務」というものの必要性は認識しつつも、 それは自分以外の誰かがやってくれる仕事と考えているのである。

 しかし、確率論的に考えると、一度も「教務」を経験せずに定年(70歳)の日を迎えることは難しい。 文学部の教員は第一文学部(昼間部)と第二文学部(夜間部)という2つの学部の教員を兼ねており、 それぞれに「教務」が存在する。「教務」の任期は2年なので、2年ごとに合計10人の教員が 「教務」になる。文学部の専任教員の数は180名程度なので、180÷10×2=36という計算が成り立つ。 つまり36年間(35歳で専任教員となった場合の在職年数にほぼ等しい)に全部の教員が一度は 「教務」になる計算だ。もっとも同じ教員が二度、三度と「教務」になることは珍しいことでは ないので(有能な人はどうしてもそうなる。たとえば土田さんは今回が三度目の「教務」入りである)、 実際の確率はもっと小さくなるだろう。目立たぬように、目立たぬように、ただそれだけを心がけて 生きていけば、「教務」を経験せずに無事定年の日を迎えることもできるかもしれない。かもしれない、 ではなく、絶対に「教務」を経験したくないのであれば、マイナスの意味で目立つこと (たとえば教授会の最中に突然「君が代」を歌い出すとか、「ピヨピヨ」とひよこの物真似を始める とか・・・・)をするという手もある。逆に言えば、多くの教員は進んで「教務」の仕事をしたくはない ものの、かといってまったく「教務」の仕事にかかわらない(かかわらしてもらえない)というの も、自分が「無能力者」あるいは「危険人物」であるとみなされているようで、それはそれで 居心地が悪いのではないかと想像する(「無能力」を自認することと「無能力」と見なされること は同じではないのである)。

 というわけで、私もそのうち「教務担当教務副主任」くらいは引き受けなくてはなるまいと思っていた。 しかし、土田さんから要請されたのは意外にも「学生担当教務主任」であった。「教務」の中にも 役割分担があり、「教務担当」は入試やカリキュラムや教員人事を担当し、「学生担当」は学生問題を 担当する。学生問題とは、学生が起こした(巻き込まれた)事件や事故、学生が直面する就学上あるい は対人関係上の困難や悩みのことである。たとえば野球の早慶戦やラグビーの早明戦のある日には、「学担」は夕方から歌舞伎町周辺で見回りをする。酔っ払って街に繰り出す学生たちが喧嘩や器物破損 に及ぶのを防ぐためである。また、過激派(新左翼)の活動家たちへの対応も「学担」の重要な仕事で ある(早稲田祭の中止や新学生会館の建設の問題をめぐって)。「教担」は頭を使い、「学担」は 体を張る、というのが一般的なイメージである。他人からどう見られているかは知らないが、私は 自分では「教担」向きだと思っていた。また、私は「教務」の経験が一度もないので、見習という 意味で、最初は「副主任」に指名されるものと思っていた。そこへ「学生担当教務主任をお願いしたい」 と言われたのである。いや、驚きました。

 

 私は「少し考えさせて下さい」と答えて、電話を切った。切った後で、これはもう引き受けるしかない と思った。断るのならば、電話を切らず、その場で断るべきであった。「少し考えさせて下さい」と いうのは「お引き受けします」ということの婉曲表現である。事実、その翌々日、私は土田さんの 研究室を訪ね、依頼をお受けすると返事をした。土田さんは、第二文学部は社会人入試で入ってくる 学生も多く、伝統的な「学担」ではなく、新しいタイプの「学担」を必要としているのだ言われ、 大久保先生のご専門であるライフコース論はそのために有効でしょうとも言われた。正直言って、 よくわからない説明であったが、とにかく私は引き受けると決めていたので、黙って頷いた。 ちなみに土田さんのご専門は朱子学である。朱子学の基本は「格物致知」(具体的な事物を 徹底的に観察することによって確かな知識を得ること)である。たぶん、気づかないうちに、私は 土田さんによってじっくり観察されていたのであろう。

 それからほどなくして第二文学部の新しい「教務」のメンバー全員が決まった。「教担」主任は 日本文学(和歌)の兼築信行さん、「教担」副主任は英文学(ギリシャ・ラテン語)の宮城徳也さん、 「学担」副主任は美術史(東洋美術)の肥田路美さん。元第一文学部「学担」副主任の兼築さん 以外は、私を含めて新人ばかりである(しかも肥田さんは文学部初の女性「学担」である)。 9月中旬、「教務」の初顔合わせがあったとき、私は映画『アルマゲドン』の一場面を思い出し、 少し悲壮な気持ちになっていた。

 

 あれから4ヶ月。「あっという間に過ぎた」と書きたいところだが、そうでもない。もちろん 遅くはないが、いつにもまして速いということもない。40代も半ばを過ぎると、時間は 恒常的に速く過ぎ去るものである。

 確かに忙しくはなった。授業と会議で週に5日は大学に来なくてはならない(こう書くと普通に 会社勤めをしている人からは「当たり前じゃないか!」と怒られそうだが、週に2日授業で 大学へ来て、仕事場は自宅の書斎という教員が多いのである)。しかし、私はもともと 大学の研究室で仕事をするタイプの教員なので、大学へ来る日数は以前とあまり変わらない。 ただ、研究室で過ごす時間が減って、教務室で過ごす時間が増えたのである。もっとも 教務室で過ごす時間=「教務」の仕事をしている時間とは限らない。大学暦に沿って、 四季折々、コンスタントに忙しい「教担」と違って、「学担」は何か事件や問題が生じたとき に忙しくなるのである。事件や問題はいつ生じるかわからないので、常に待機していなくては ならないかわりに、待機中は別の仕事、つまり本を読んだり、原稿を書いたりすることができる。 私は、子供が小さいときは、子供の世話をしながら本を読んだり原稿を書いたりしていたので (有体に言えば、職がなかったのである)、何かの合間にコトコト仕事をするのは得意である。 けれど、さすがに会議中はそういうわけにはいかない。「教務」になる以前は、教授会は 2回に1回はサボっていたし、出たときもたいてい「内職」や居眠りをしていた。しかし、「教務」 は教授会の運営役なので、サボることはもちろん、「内職」や居眠りもできない(・・・・はずなの だが、度胸があるというのだろうか、図々しいというのだろうか、私の横で『キケロ選集』 の翻訳の校正をしている方もいる)。他の会議に出るときも、学生問題にかかわることは教授会で 報告しなくてはならないので、一生懸命ノートをとるようになる。そうすると、いろいろ疑問の点 が出てきて、質問やら意見やらを言いたくなり、「はい!」と元気に手を挙げてしまったりする。 本人はホームルームの小学生のようにしごく真摯な気持ちで発言しているのだが、 「あいつはうるさがただ」と思われてしまったりする。しかもそれがちょっと快感だったりする (教授会で毎回活発に発言される数人の先生のお気持ちが理解できた気がする)。

 事件もいろいろ起こった。この4ヶ月で対処した事件の主なものは、「ジュースかけ事件」 「女子トイレのぞき事件」「ストーカー事件」「消火器噴霧事件」「露出狂事件」などである。 TVのワイドショーの見出しみたいだが、実際に「ジュースかけ事件」はTVのワイドショーで取り 上げられたので、ご存知の方もいるだろう。同一の犯人の仕業かどうかは不明だが、昨年の夏 から秋にかけて、学内のあちこちで頻発した事件で、校舎の上の階の窓から下を歩く女子学生に ジュース(牛乳やミルクティーのこともある)を浴びせかけるというイタズラである。 某写真週刊誌が「美人女子大生連続ジュースかけ事件」と囃し立てたので、私が学生たちに注意を うながす意味で、被害者は必ずしも「美人」と決まっているわけではないので(何しろ校舎の上 からかけるわけだから)皆さんも油断してはいけないと授業中に話したら、ドッと笑いが起こったが、 出席していた学生の中に被害にあった女子学生の一人がいて、後から「みんなは笑っていたけれど、 私は笑えませんでした」と言われ、大いに反省した。しかもこのエピソードを教授会で披露したら、 その後の教員懇親会の席で、身内の「学担」副主任を含む数人の女性教員からあれは立派な セクハラですと真面目に抗議されてしまった。どうも私には常に「笑い」をとろうとする芸人根性 (?)のようなものがあるようで、TPOをわきまえないといけないと再び反省した。ここは真犯人 を捕まえて汚名回復をするしかないと張り込みなどしてみたのだが、世間の注目するところと なったせいか、あるいは季節が寒くなったせいか、その後「ジュースかけ事件」は発生していない。 来夏、もし同じ事件が起こったら、絶対に捕まえますぞ。

 「大変ですね」と言われれば(多くの教員はそう言ってくれる)、「ええ、まあ」と答える。 けれど、本当のことを言えば、それほど大変だとは思っていない。はじめから大変だぞと覚悟を 決めて「学担」を引き受けたせいかもしれない(想定水準が高すぎたということ)。あるいは 適当に手を抜いて仕事をしているからかもしれない(もちろん謙遜です)。しかし、それだけ ではないだろう。「教担」の仕事は側で見ていて本当に大変だと思う。世の中は「改革」「改革」の 大合唱の時代で、それは大学も例外ではなく、生き残りをかけて次々と新しい試みに取り組んでいる。 早稲田大学でも「21世紀のグランドデザイン」という報告書が教務部を中心に作成され、 全教員に配られた。そこにはもりだくさんの企画が列挙されていて、私は、報告書の作成に かかわった方々が多数を占める会議の席上で、うっかり「これって、どこまで本気なんですか?」 と質問して、座の空気を白けさせてしまったことがある。驚いたことに、私にも最近ようやく わかったことだが、彼らはどこまでも本気なのである。本当に大変なことだ。一方、「学担」 の仕事というのは、新しいことを企画するよりも、さまざまな困難や悩みを抱えて学部事務所 を訪れる学生ひとりひとりにいかに親身になって対応するかが大切なのである。その意味では、 「学担」の仕事は教師の仕事と基本的に同じものである。

 

*** *** ***

 

 チキンカツ・カレーを食べ終わると、終電の時刻(0時ちょうど)が迫っていた。「学担」になって 帰宅時間は遅くなった。第二文学部は夜間学部なのでどうしてもそうなる。幸い早稲田から乗る 地下鉄はたいてい座ることができる。疲れと満腹で40分の乗車時間の大半は寝ている。 おかげで下車するときは頭はすっきりして、帰宅して風呂を浴びると、本でも読もうかという 気分になる。できるだけ浮世離れした本がいい。最近読んでいるのは、サイモン・シン著 『フェルマーの最終定理』(新潮社)という本だ。3以上の自然数nに対して、 Xのn乗+Yのn乗=Zのn乗という等式を満たすような自然数X、Y、Zは存在しないことを証明 しようとした数学者たちの物語だ。

 映画のビデオを見たり、音楽を聴いたりもする。疲れているのだからすぐ寝ればよさそうなもの だが、夜型の人間というのは、帰宅してすぐ寝てしまうのは何だか人生の時間がもったいない気が するのである。近頃、よく聴くのは、フリードリッヒ・グルダのピアノによるモーツァルトの 「ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466」(ウィーンフィルハーモニー管弦楽団、指揮は クラウディオ・アバド、1974年の録音)。学生の頃に買ったLPで、ずっと聴いていなかった のだが、最近、新品のレコード・プレーヤーを購入し、思い出したように聴いている。 音の強い、「ベートーヴェン志向型のモーツァルト」(黒田恭一)だ。

 ちなみに私などよりも何十倍もお忙しい学生部長の紙屋敦之さん(学生部長というのは 大学全体の「学担」主任のようなもの)は、毎晩、家に帰ると鯨の鳴声の入ったCDを聴いて から寝られるそうだ(これは実話です)。


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