若 者 た ち

―研究室だより・1998年秋―

 

 私が早稲田大学文学部で担当している授業の1つに「社会学基礎演習」がある。これは専門課程へ進む前の 1年生を対象にした授業で、定員は30名(履修を希望する学生が多いらしく、いつも抽選になる)。 演習なので、授業は学生のグループ報告と個人レポートが中心である。1年生は、語学の授業が多く、 一般の講義科目も大教室での授業が主なので、自分たちが中心になって進めていくこの授業を、 自己表現の場としてけっこう楽しんでいるようだ(と同時に、大いに緊張もしているようだ)。 今回の「研究室だより」は、「大学」というテーマで、最近、彼らに書いてもらったレポートの一部 を紹介しようと思う。授業では、私だけでなく、全員が全員のレポートを読み、感想を述べ合う。 日常のおしゃべりの場面では言えない心のうちを、彼らはレポートに書いてくる。

 

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 私が初めて早稲田を訪れたのは、高校一年の時である。立て看板の多さと、張り紙だらけの第一学生会館が、 ひどく印象的だった。それは、私の早稲田に対するイメージを長く支配した。かえって、受験期になって よく目にするようになった、大部分の人にとっては早稲田の顔であろう大隈講堂や大隈重信像を 写したこぎれいな景色には違和感を覚えるくらいだった。現在私が所属しているサークルは第一学生 会館にある。早稲田のウラの顔に活動の拠点を置いているわけだ。私は、基本的に、ちょっとキタナイ くらいの所の方が好きだ。キレイな建物などは、鑑賞の対象にはなっても、何か物足りなさ を感じてしまう。種々雑多なものであふれたごちゃごちゃした空間にいると、“生きている”と いうことに意識的になれるような気がするのだ。そこにあるたくさんのモノがある種のパワーを発して いるのだろうと私は思う。(A.H.さん) 
★確かに早稲田はキタナイ大学である。私はもう不感症気味だが、たまに学会などで地方の私立 の女子大などに行くと、あまりの清潔さにビックリする。

 

 高校の時、はやく大学生になりたいと思っていた。・・・・はやく大学生になりたいと思っていたのは、 その「自由さ」にあこがれていたからだと思う。・・・・大学に入れば高校生と比べれば圧倒的に 授業にしばられる時間は減ってくる。その分、自分の時間がふえて自分の世界を広げる機会がふえるのだと 思った。高校を卒業して1年後、大学に入学した。そして、やはり講義は退屈だ。・・・・それでも自分が どういう人間で、何がしたいのか、何をしなければいけないかということは日々分かってくる気がする。 家で暇があれば好きな音楽を聴きながら本をよんだり、また映画をみたりする。休みがあれば外へ 出てぶらぶら歩いたり釣りをしたり。そして今思うのは大学の講義をサボっても自分の興味のある事 をサボる事はしないようにしようということだ。(J.A.君) 
★私も学生時代はよく授業をサボった。授業に出るときも、内容が面白くなければ、持参した文庫本を読んでいた。

 

 久しぶりに帰省して小中学校時代の友人に会ってみたら、なんとほぼみんな働いていて、つまりは 就職していてビックリやった。とにかくみんなには「学生」であることをうらやましがられる。 「大学生ってさあ、めっちゃ遊んでるんやろ?」「夏休み、今日と明日の2日だけなんさ。」 「毎日同じ生活やし、遊ぶヒマも出会いもないで。」・・・・そこでは大学生やったらお決まりの 「バイトやってる?」「サークルどこ?」なんて話はもちろんできん。彼らにとってうちらは 離れた外の世界にいる人間らしい。相変わらず仲はいいけど少し距離を感じる。「いいよなあ、 将来何になるとか考えることいらんし。」「なあ、○○はスゴイ人になんのやろなあ?」 そんなんわからん。(Y.I.さん) 
★近々、高校の同窓会(卒業25周年)がある。「先生はいいね、夏休みがあって」とまた言われる ことだろう。実際、いいんだけど・・・・。

 

 先週の土曜日は2限の授業を切った。土曜日は2限しか授業がないのだ。休みたいときに休める なんて素晴らしい。大学生になれて良かった、と大学生である喜びを噛みしめるひとときだ。 今から思えば受験生だった去年は大変だった。急に懐かしくなって、予備校に行ってみることに した。・・・・ある空き教室で生徒が黙々と自習をしていた。なんて健気なんだろう。あんなに 頑張って大学に入っても、結局遊んで怠惰に暮らすだけなのに・・・・。いや、そういう生活を 目指して頑張っているのかもしれない。事実、私自身もそうだったのだから。近頃、大学入試 の改革が叫ばれているが、どんなことをしてみても、大学へ入る目的が「大学生になる」こと である限り、何も変わらないだろう。(Y.S.さん)
★大学の先生の中には、休みたいときに休む先生がいる。もしかしたら、大学の先生になれて良かった、 と大学の先生である喜びを噛みしめているのかもしれない。

 

 カフェテリアとスロープは、私のお気に入り。・・・・スロープそのものというよりも、門があって  スロープがすーっと続いていて、そして建物がバーンとそびえ立っている様子が好きなんです。 何となく、学問の道が続いているみたいな感じがしませんか? スロープの傾斜は向上を表して いるんだ!とか思ったりした。でもそういうことを考えるのは、ほんのときたまで、実際は授業 に遅刻しそうになってスロープを急いでかけのぼりながら、「何で、坂になってるんだよ!」 って思ってる方が多いかもしれません。(H.K.さん)
★私も文学部のスロープは好きだ。でも、あなたとは違って、上るときよりも、下りるときの ほうが好きだ。上るときは「さあ、お仕事、お仕事」と自分に言い聞かせている。下るときは 「お疲れさま」と自分をねぎらっている。

 

 今年の夏休みは、サークルの合宿終わった後、サークルの友達3人で日本横断旅行に出発した。 ドロンズとかパンヤオとかみたいにヒッチハイクしたかったんだけど、日程の問題があって電車で 行った。新宿から出発して、目的地は博多。金がないから夜は公園で寝た。元気だったのは 最初の日だけで、2日目から電車の中は無言に近く、3人ともかなりお疲れ状態だった。(T.E.君) 
★「青春18キップ」は私にも使える。

 

 現代の若者は「自分」にしか関心がない。・・・・そんな現状を嘆き、大学紛争の頃の学生は良かった と言う人も多い。彼らはまるで自分たちの頃の大学生とその後の大学生では、まったく人種が 変わってしまったような物言いをする。しかし私はそのような「継ぎ目のない織物を引き裂く」 (E.H.ノーマン)ような歴史の見方に反対する。大学紛争の敗北が今の現状を招いていると 私は考えている。(T.O.君) 
★ものの見方が社会科学的だ。

 

 乗客は与えられた時間を好きなように過ごし、好きな駅で降りていく。でもきっと、走る電車 は同じ方向を向いている。自分探しという道を。(T.S.さん) 
★「本当の自分」とは、「現実の自分」のことか、「本来の自分」のことか、それとも 「理想の自分」のことか。「現実の自分」は現在に属し、「本来の自分」は過去に属し、 「理想の自分」は未来に属する。君はどこを探しているのか?.

 

 なんだかいきなり大きな部屋へ引っ越したみたいな気分。自由をちょっと持て余し気味。 ・・・・本でも読んでみようかな。(A.T.さん) 
★それはいい思いつきだ。

 

 大学の授業風景といえば、広い階段教室での授業。私はドラマとかの影響でそんな授業に 憧れていた。でも実際はかなり違っていた。・・・・私の授業の教室は、悪いけど、ボロ教室。 でも、味があって、いかにも古くって、けっこう好きだったりする。冬は、あのエアコンの ない教室で、コートを着たまま授業を受けたりするのかな?(H.N.さん) 
★大丈夫。クーラーはなくても、スチームはあるから。ただし、12月にならないと入らない。

 

 大学では、それぞれの人がいろいろなことをしている。ビラ配って運動している人もいるし、 演劇の練習をしている人もいるし、ギターを持って歌っている人もいるし、看板作りにいそしんで いる人もいるし、勉強している人もいる。中学、高校までは、学校内ではほとんど画一化した生活 を強いられるし、就職して会社という組織に入ってからも同様であろう。しかし大学というところは 違う。ものすごくたくさんの人たちが、それぞれの時間を自由に過ごしている。限られた時間の中に おいて、ここまでいろいろな人のいろいろな生き方がある場所は、・・・・大学以外にはなかなか簡単 には見つからないのではないだろうか。さまざまな生き方にあふれた大学で、それを目の当たりに し、刺激を受け、自分もさまざまな生き方の可能性を試すことができる。大学って面白いところなの だなー、としみじみ思った。(H.N.君) 
★今年も早稲田祭は中止と決まった。しかし、大学は毎日がカーニバルのようなところだ。

 

 大学に入って、まだ半年なんだけど、なんかかなり波瀾万丈だったのよねー。多分それは、 私が中高6年間、女子校っていうかなり閉鎖的な環境にいたからだと思う。私にとって の大学って、サークル中心だから、その波瀾万丈な出来事もサークルを中心に起こったんだよね。 で、確かにそれで、私は、かなり傷ついたりしたし、一時期は悩める乙女だったんだけど、 でも何気にそれはそれで後悔はしていないんだよね。だってさー、そういうことがなかったら、 私はなべちゃん(あ、サークルの友達なんだけど)とここまで話せるようにならんかったしね。 転んでもただじゃ起きあがらんよ(ってちょっと違う?)。まあ、とりあえず、この大学に入って、 一番成功したのはサークル選びかな。(S.H.さん)
★「桃井かおり」みたいな文体です。

 

 大学もあと三年半しかない。(M.H.さん) 
★もう「残り時間」を意識している!

 

 大学は掲示物で動いているといっても、まるっきりウソではないはず。なにしろ、大量の人が そこには存在し、責任はその各人にまかされ、そして、情報を平等にかつ迅速に伝達する適当な 手段が他にあまりないのだから仕方がない。・・・・私の友人のIちゃんは、10月1日、都民の日は 休講(彼女の頭の中では休校)だと思い込んでいたが、やはり1年生という気負いせいか、 掲示板を念のためにチェックし、落胆していた。彼女にとってこの掲示板は無情にも強かった。 (みんなそんな経験あるでしょ。)結局、大学生というのは掲示板ごときに動かされているという訳。 (授業があるのにさぼる人。そんまのはここでは無視。)(C.H.さん) 
★あなたは遅刻したことが一度もない。「大したものだね」と言ったら、「遅刻する自分が 許せないんです」と答えたのにはビックリした。

 

 われわれの文学部のトイレでも例に洩れることなく、便所に落書きがされている。・・・・ ここの落書きは誰かが書き込んだ意見について複数の人がそれに対する意見・反論を書く形式 となっている。彼らは全く顔も素性も分からないような人間と「孤独なディベート」を交わし 続けている。自分の本心を他人にぶつけることができず、自分の姿を隠すことでしか打ち明ける ことのできない、人と人との繋がりが薄い、現代のわれわれの誤った個人主義というものが 見えてくるような気がする。ここの落書きでもそのようなことが書かれている。「ここに文句 書くだけ書いていざ外に出ると静かにしてるんでしょ。人の見てない所でしか文句言えない奴 がいちばん弱いの」と。(M.S.君) 
★研究棟のトイレにはフランス語の落書きがある(なぜか内容はニーチェの言葉だったりする。 どうして、ドイツ語で書かないのだろう?)

 

 それにしても大学にはたくさん人がいます。で、何か知んないけど正しい人が多いです。 ここで「正しい」って何だよって。つっこまれても困るんですけど。何となくそう思うだけで、 大した意味はないんです。うん。ただね、みんな頑張ってるなぁと。だからそこでまた「何を」 とかって聞かれても困ります。何となーくそう思うってだけの話です。私あんまり頑張ってない んです。なんかまぁ。ねえ、ほら。人生いろいろですよ(強引)。頑張るのが絶対いいこととは 限らないもん。なんていうへりくつをぼざきならダルーく生きるってのもそれはそれでひとつ。 じゃ、ないですか?(って誰に同意を求めてんだか。)ところで、キャンパス・ライフっていう 横文字をどう思います? 私は・・・・嫌いですね。大っ嫌いです。気持ち悪くないですか、何か。 感覚的な問題なのかなぁ。変な先入観植え付けるの、いいかげんやめてほしいんですけど。(C.Y.さん)
★シニカルな雰囲気を漂わせてますが、決してぞんざいに書いた文章ではありません。 むしろ非常に繊細な神経の持ち主が「ぞんざいさ」を装って書いている文章です。

 

 高校のときからの親友「あや」へ。あや、元気ですか? あやが自分の夢のために専門学校へ進学し、 私が大学生になってもう半年がたったよ。学校は楽しいですか? 高校生のとき、私は、 大学に進学することをためらってた。早稲田には行きたかったけど、あやも知っているように、 の夢を実現するためには「大卒」であることは必要なかったから。専門学校に行った方が手っ取り 早くやりたいことをやれる。4年間も私は大学で何をすればいいんだろう、と思っていました。 でも、私はやっぱりいろんなことを学びたかった。基本的に勉強が好きだし。だから早稲田に 入ったときはすごくうれしかった。でも半年がすぎた今、私の大学生活はボロボロです。 1時限目の授業はいつも寝過ごして行けないし、その他の授業にも80パーセントぐらいの確率で 遅刻してるし、大教室では熟睡しているし、宿題は他人に見せてもらってる。居眠りと 宿題写しは高校のときからよくやってたけど、高校3年間で一度も学校を休まず(あやはよく さぼってたけど)、朝も3番目くらいに教室にいた私としては、なんだか自分で自分が嫌になって きます。来たくて来た学校なのに、情けないです。・・・・大学に来たのは間違ってたのかなあ・・・・。 そう思ったことも何度かあった。だけど、早稲田で、私はいろんな人に会えた。こういう言い方は 月並みかもしれないけど。本当にすごい人が世の中にはいるんだと思った。あやに出会ったときも、 私は自分の小ささを思い知らされたけど、やっぱりここでも、ショックなことがたくさんあった。 そしてその度に、自分のこととか周りのこととかたくさん考えました。で、結局、「ここにいる のもいいんじゃないかなあ」って思うようになった。早稲田にいることは、私にとってプラスに なることだと思う。ここにいる間にしかできないことを、精一杯やっていくから、あやも、 あやらしくがんばってください。(M.W.さん) 
★「ここにいるのもいいんじゃないかなあ」って思うようになった。−これは本当ですか、 と私は彼女に尋ねた(文章を終わらせるための方便かもしれないと思ったので)。彼女は 私の目を真っ直ぐに見て「本当です」と答えた。

 

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 新入生にとって大学のキャンパスは戦場のようなところだ。いつ、どこから、弾が飛んでくるかわからない。 誰が見方で、誰が敵なのかもわからない。四六時中緊張し、他人に対して警戒心を解くことができない。 だからひどく疲れるし、孤独である。「楽しいキャンパス・ライフ」なんてどこにもありはしない。  泣きたいような気持ちになるが、それでも、信じられるものや夢中になれるものを手探りで探し続ける。 −そうやって「あっという間に」半年が過ぎたのではないかと推測する。この推測は、 半分は彼らの書いたレポートに基づいているが、残りの半分は私自身の大学生活の記憶に基づいている。

 授業への出席率を指標とするならば、私は真面目な学生ではなかった。出身高校のバドミントン部 のコーチ、さまざまなアルバイト、手当たりしだいの読書、語学のクラスが同じだった一人の 女の子への憧れ、これが当時の私の日常生活を構成する主要な要素であった。感受性が強く (ショックに弱く)、ちょっとしたことで有頂天になったり落ち込んだりしていた。大学の中に 友人と呼べる人間は一人もおらず、コミュニケーション可能なのは高校時代の友人と、 直接会ったことのない本の著者たちだけだった。屈折した青春を送っていると感じていたが、 いまにして思えば、青春とは本来屈折したものなのである。

 同じキャンパスで青春を送ったせいであろう、私にとって彼らは学生というよりも後輩という感じが する。新参兵の悪戦苦闘を傍らで見ている古参兵(たとえば、テレビドラマ「コンバット」で ビッグ・モローが演じていたサンダース軍曹)のような気分、といっても番組が旧すぎて彼らに 理解はされないと思うが・・・・。

 基礎演習という水泳教室での訓練を終えたら、来年の4月、君たちはそれぞれの専修の海で泳ぎ始める。 たぶん訓練不足のまま泳ぎ始めることになるが、欲を言えばきりがない。犬掻きでもなんでもよろしい。 格好なんか気にしては駄目だ。とにかく泳ぐこと。泳ぎ続けること(もちろん疲れたら休むこと)。 それが大切だ。そうやってどこに泳ぎ着くのか−それは誰にもわからない。諸君の健闘と幸運を祈る。 何かあったときは(いや、別に何もなくったてかまわない)、私の研究室に顔を出してくれ。 助言者になれるかどうかはわからないが、少なくとも、聞き手にはなれるだろう。



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