時 間 の あ る 生 活

−研究室だより・1999年春−

 

 今日は4月1日(例によって締め切りを過ぎてからこの原稿を書いている)、新しい年度の始まりである。 いつもならば、4月中旬から始まる新学期に備えて講義の準備をしている頃であるが、今回はその必要 がない。なぜなら、今年度、私は授業を担当しないからである。早稲田大学の教員には「特別研究期間」 というものがある。1年間、授業を担当せず、かつ学内の諸会議への出席も免除され、研究に専念 できる期間である。名称はいろいろだが、これに類した制度はたいていの大学にはある(放送大学には ない!)。要するに研究者としての充電期間である。早稲田大学の場合、70歳の定年までの間に3回 (45歳までに1回、55歳までに1回、65歳までに1回)申請できることになっている。ただし、 勤続5年以上でないと申請することはできないので、5年前、39歳のときに早稲田大学に移って きた私にとっては、「45歳までに1回」という規定は滑り込みセーフのきわどいものであった (4月1日現在、私はまだ44歳だが、11日には45歳になる)。

 説明抜きで断定させていただくが、人生において必要なものは、愛情、健康、お金、仕事(社会的役割)、 時間である。しかし、この5つの資源がすべて同時に揃うということはめったにない。いつも何かしら 足りないというのが普通の人生であり、「でも私には愛する家族がいる」「でも私には打ち込める 仕事がある」と自分に言い聞かせながら、人はそれぞれの人生を生きているのである。とりわけ 時間の不足(多忙)は近代社会に生きる人間の宿命である。私自身、大学の助手として職業生活のスタート を切って以来、今日までの人生を振り返ってみたとき、多忙でなかった時期というのは2度あるが、 それは失業していた1990年(36歳)の春から秋までの半年間と、急性胆嚢炎で入院していた1991年 (37歳)の秋の1ヶ月間で、どちらも仕事や健康という他の資源の喪失の結果としての時間の余剰であり、 少しも楽しいものではなかった。しかし、今回は違う。他の資源を損なわずに、時間を手に入れること ができるのである。健康にはいまのところとくに問題はない(自転車をやめて歩くことにしたのと、 多少のダイエットでこの半年間で3キロの減量に成功した)。授業を担当しなくても給料や研究費 は同じだけもらえる(育児休業制度との違い)。むしろ家族と過ごす時間が増えることで愛情は 増えるかもしれない(希望的観測か・・・・)。とにかくめったにない経験なので、わくわくしている。

 特別研究期間の開始にあたって、直面している3つの問題がある。問題といってもアカデミックな ものでもなければ、深刻なものでもないが、実生活の上では重要な問題である。第1は、定期券の 問題である。授業や委員会がなくとも、卒論指導(諸般の事情で卒論指導だけは担当することに なった)や研究会や図書館利用などのために大学へは行く。いまのところ火曜日と金曜日を登校日 として考えているが、週2日の登校であるならば定期券では損である。週3日でトントン、週4日 以上で初めて定期券が得になる。ちょうど3月の頭で定期券が切れたので、試しにこの1ヶ月間、 メトロカード(5000円)を使ってみたが、なんやかんやで週平均3日は大学に行き、その上、 映画館や将棋道場へ行くにも地下鉄を利用したので、結局、カードを2枚消費した。定期券の 場合は、月当たり8000円程度なので、これならこれまで通り定期券の方がよかった。しかし、 3月は年度末ということで雑用が多かったからこうなったので、4月に入れば週2日の登校で十分 だろう。いや、銀座の映画館や神田の古本屋に行くことはこれまでよりも多くなるだろうから・・・・ てなことをあれこれ考えているわけである。結局、考えること事態が面倒だし、みみっちい感じも するので、これまでどおり定期券を購入することに気持ちは固まりつつある(この原稿を書き上げたら 買いに行こう)。

 第2は、昼飯の問題である。週4日以上登校していたこれまでの生活においても、昼飯の問題は存在していた。 ただし、それはどの店で何を食べるかという問題であった。嗜好の問題であり、経済の問題であり、 カロリー(ダイエット)の問題であった。言い換えれば純粋に私個人の問題であった。私はその日の 気分と懐具合と体重の増減だけを考慮して昼飯の問題に対処していればよかった(ちなみに、 3月の私の昼飯の四天王は、「茶月」の日替わり握り650円、「志の原」の野菜天せいろ1100円、 「ごんべえ」の釜揚げうどん700円、「高橋食堂」の二重弁当840円である)。しかし、いま私が 直面している昼飯の問題はそういうものではない。それはもはや私個人の問題ではなく、夫婦関係 の問題である。大学に出ない日が多くなるということは、自宅で昼飯を食べる頻度が増えることを 意味する。その際、私が自分で昼飯を作ったり、近所に食べに(あるいは買いに)出ることは論理的 には可能だが、専業主婦である私の妻は昼飯を作ることを自分の役割と考えているであろうから (たぶん)、結果的に妻の家事労働の増加という事態を招くであろう。これは好ましい事態であろうか。 妻が「あなたに食事を作ってあげられる回数が増えて、そして一緒に食事をできる回数が増えて、 嬉しいわ」と思う確率と、「亭主元気で留守がいいっていうけど、ホントね」と思う確率とどちら が高いであろうか。私はこの問題を楽観的に考えるにはあまりにも統計的データに通じてしまって いる。私が定期券の問題で悩むのは、たんに経済的損得のためだけではないのである。

 第3は、地域社会の問題である。私の住まいはいわゆる「マンション」と呼ばれる集合住宅である。 5階立ての棟が4棟あって、140世帯が入っている。管理組合(自治会)や子供会やシニアクラブなど の組織があって、それなりの連帯感が住民の間にはあるが、やはり基本的なライフスタイルは都会的な ものであって、お互いのことをそれほど知っているわけではない。私が平日の昼間に「マンション」 の敷地内をブラブラしていると、「今日はお休みですか?」と笑顔で挨拶してくれる奥さん方も、 今後、それが連日となれば、あの方リストラにでも遭ったのかしら、お気の毒に・・・・と、視線が合う のを避けるようになるだろう。しかも去年の暮れから我が家にはネコが同居を始めており(長男が どこかで拾ってきたのである)、このネコに日光浴をさせるべく、私がネコを抱いて公園のベンチ に座っていると、どうしても「失意の人」という感じに見えてしまうのである。一人前の男が昼間 の地域社会に居場所を見つけることは難しい。

 思うに、私が直面している3つの問題は、サラリーマンが定年退職直後に直面する問題と似たところ がある。今回、私はそれを25年程早く疑似体験することになるのであろう。そのことの報告はいずれ また別の機会にさせていだたく。


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