エイプリル・ブルー

−研究室だより・2000年春−

 

 4月は私にとっては憂鬱な季節である。春なのにどこか心楽しまない。世間では「春は心がうきうきする」 ことになっている。そう決まっている。しかし、本当にそうなのだろうか。みんな本当に 「春は心がうきうきする」のだろうか。たとえば万葉の歌人大伴家持の次の歌に私は心底共感を覚える。

  うらうらに照れる春日に雲雀あがりこころ悲しも独りしおもへば

もし彼が秋の風景を詠みながら「悲し」と言ったのならば、それはごく月並みな歌で終わったはず である。 「心がうきうきする」はずの春の風景を詠みながら「悲し」と言ったところにリアリティがある。 春愁孤独。そしてこの歌が多くの人の心をとらえて今日に至っているという事実は、私のように春なのに 心楽しまない人間がたくさんいることの証拠であろう。

 思うに「春は心がうきうきする」というのは「雪国的心情」の過度の一般化ではあるまいか。 「地域的感性」の強引な全国化ではあるまいか。実際に北国に暮らしたことのない人間が千昌夫の 「北国の春」を歌って酔いしれているようなものではなかろうか(そこまで力説することもないか・・・・)。

 この問題は広げていくと「日本人の心情の歴史」というような大きなテーマに発展するが、ここで それをするわけにはいかない(できない)から、エッセーというものの常として、話はここから 一気に個人的な水準に下降する。

 私が春なのに心楽しまない理由は、考えてみるに、第一に、私が4月生まれであることと関係があるかも しれない。この原稿を書いている時点で私は45歳であるが、4月11日以降は46歳になる。また1つ歳を とるのである。ある年齢以上の人で誕生日が嬉しいという人は少ないであろう。誕生日の祝い というのは沈みがちになる気持ちを励ますための仕掛けであろう。かつて年齢は「数え年」で表していた。 生まれた時点で1歳で、その後は、新年を迎えるごとに1つずつ年齢が加算されていく。つまり 世の中の人全員が元旦にいっせいに歳をとるのである。「赤信号みんなで渡れば怖くない。」 子供の頃、「数え年」という考え方は奇妙なものに思えたが、最近、あれはあれでなかなか すぐれた慣習であると思うようになった。「満年齢」という考え方は、年齢が加算される日を 「元旦」から個々人の「誕生日」に分散させることで、歳をとるという経験を孤独なもの にしてしまったのではなかろうか。

 第二に、私の憂鬱は教師という仕事とも関係があるように思う。教師の仕事は4月から翌年の3月まで を1つのサイクルとする。4月は新しいスタートの月である。私は教師という仕事が決して嫌いではない。 「天職」という言葉を使えるのほどの自信はないが、自分に向いた仕事だと思っている。しかし、 それだけに、相当のエネルギーを投下してもいる。3月の末の卒業式(+謝恩会)が終わると、 がっくりと気の抜けた状態になる。気心の知れた学生たちが目の前から消えて、また一から関係を 作り上げていかなくてはならない学生たちがすぐに目の前に現れると考えると、しんどいなと思う。 ちょっと一休みさせてくれと思う。事実、春休みはそのための期間なのである。昼近くまで寝ていて、 朝食件昼食を食べ、フジテレビの「ニュース・スピーク」「笑っていいとも!」「ごちそうさま」 「ザ・美容室」という一連の番組をだらだらと見て、場合によっては「2時のほんと」まで見て、 その後、読書あるいは映画(レンタルビデオ)に耽り、途中で風呂や夕食を挟んで、深夜に及ぶ。 そういう自堕落な生活を送りながら、授業初日に向けて徐々にテンションを高めていくのである。

 以上に述べた2つの理由は毎年のことだが、第三に、今年に限っての特別の理由というのがある。 それは今回の『O&O』の特集テーマ「買い物」と関係がある。実は、いま自宅を建築中なのである。

 いま住んでいる市川のマンション(中古)を購入したのは13年前であるが、
 @子供の成長と蔵書の増加で手狭になってきたこと、
 A私の両親の老化がしだいに目だってきたこと、
 B2人の子供が来年は高校と中学にそろって上がるのでそれに合わせて転居をすれば彼らに
  転校を経験させずにすむこと、
 Cいまなら住宅取得に関する優遇税制が適用されること、
等々の促進要因が働いて、両親の住む蒲田の家を立て替えて二世帯同居をすることに決めた のである。竣工は8月中旬の予定である(実際に二世帯同居が始まるのは来春)。

 戦後日本のサラリーマンとその妻にとってマイホームは生涯最大の買い物である。私の場合、 土地はすでに親が所有していたので、建物だけの費用ですんだのだが、それでも手持ちの資金 だけではとても足りず(3階建てのけっこう大きな家なのである)、住宅金融公庫から2000万円、 勤務先から1500万円の計3500万円を借りることになった。一般に住宅ローンは年収の5倍が 上限と言われており(でも、これってバブル時代の尺度では?)、その尺度からすれば、 3500万円というのは返済にあたって「無理のない」金額である(ということになっているらしい)。

 しかし、実際問題としては、月々の返済額はこれまでより(マンションのローンは今回一括返済した)、 5万円増えることになった。で、その分をどこかで調節(倹約)しないとならないわけだが、 家族会議の結果、結論は私の小遣いの全額カット(!)ということになった。それは 妻に言われたわけではなく、健気にも自分から申し出たのである。これまで私は月給の中から 5万円を(妻経由で)自分の小遣いとして受け取っていたのだが、それを廃止したのである。 誤解のないように補足しておくと、私には大学からの給料以外にも若干の収入があり(研究費、 他大学の非常勤、講演、本の印税など)、これは家計には組み込まず、私が自由に使える (もちろん研究費は使途に制約があるが)お金である。幸いにして、あるいは不幸にして、 酒、美食、旅行、ギャンブル、女遊びといった金のかかる方面には縁がないので(本だけは例外)、 小遣いの5万円がなくなってもやっていけるだろうと判断したのである。しかし問題の 本質は小遣い云々ではないのだ。

 映画『Shall weダンス?』をご覧になった方は覚えておいでだろうが、冒頭で、郊外に念願の マイホームを購入した42歳のサラリーマンのどこか元気のない日常が描かれる。部下から 「奥さんと娘さんと庭付き一戸建てかあ。すごいなあ。」と言われても、「いやあ、何だか 会社に身を売ったというか。ローンを考えると・・・・」と力なく答えるのである。一方、 彼の妻はローンの返済のため13年振りに働きに出ることになり、妙にうきうきとしている。 私の妻は専業主婦を続けているが、住宅メーカー選びから始まって、間取りはもちろんのこと、 システムキッチン、洗面台、浴槽、壁紙、照明やカーテン、サッシや外壁、はてはトイレの中 のタオル掛けの金具一本に至るまで、汗牛充棟の資料に目を通し、あちこちのショールームに 足繁く通い、すべてを納得のいくまで検討し、決定した。そのエネルギーと集中力に私は ひたすら圧倒されていた(ねえ、ねえ、トイレのタオル掛けなんてどれでも同じじゃん、とは とても言えない雰囲気だった)。はたして彼女は、16年前、自分の結婚相手を決めるときにも これほどの熟慮をしたのであろうか(だとしたら、それはそれで怖い・・・・)。




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