マイ・パソコン・ライフ

研究室だより・1999年冬

 

 特集のお題は「パソコン」でしたね。ちょっとオタックっぽい内容になるかもしれませんが、今回の 「研究室だより」もそれでいってみましょう。

@ワープロ

 ワープロもパソコンの一種と考えると、パソコンとの最初の出会いは15年ほど前、結婚してアパート 暮らしを始めた頃のことだ。日立の「ワードパル」という機種を購入した。ワープロが一般に普及し 始めてまだ間もないときで、当時のお金で50万円ほどした。大学院の学生で収入はほとんどなかった が、商売道具としてなくてはならないものと考えたので、妻に買ってもらったのである。

 私にとってワープロとは「悪筆からの解放」であった。私は字が下手である。俗に言う「ミミズの 這ったような字」である。メモ帳に走り書きした字などは他人には判読不可能で、時間が経つと 自分でも判読できなくなる。だから手紙とか試験の答案など他人に読んでもらうものを書くときは、 一字一字、ゆっくりと、力を入れて書かねば成らず、時間がかかる上に、ひどく肩が凝る。まるで 棟方志功が版画を彫っているような感じになる。そうやって書いた字は、いわゆる「丸文字」と いうやつで、読みやすいのだけが取り柄の、子どもっぽい字である。音痴の人間にも歌の上手い 下手がわかるように、字の下手な人間にも字の上手い下手というものはわかる。これは非常に 不幸なことである。ワープロで打った自分の文章をはじめてプリンターで印字したとき、文明とは 人間に幸福をもたらすものであることを実感した。

 現在、私は論文も書類も手紙も日記も、つまりほとんどの文章をパソコンを使って書いている。 今年からは年賀状の宛名書きもパソコンでするようになった。唯一字が下手なことのコンプレックス に苛まれるのは結婚式や葬式での記帳のときである(授業のときの板書は、開き直っているせいか、 苦にならない)。せめて自分の名前だけは毛筆でサラサラと書けたらどんなにいいだろうと思う。

2. 電子メール

 インターネットによる電子メールを始めたのは1996年10月からである。なぜそうはっきり言えるのか というと、パソコンの内部(ハードディスク)に交信記録が残っているからである。

 ご存じない方のために簡単に説明すると、電子メールというのは、パソコンで打った文章を、電話回線 を使ってプロバイダー(接続業者)のホスト・コンピューターの内部に設置された相手の「私書箱」 に送信しておくと、相手は好きなときに(真夜中でも)、電話回線を使って自分の「私書箱」を 開いて、送られたきた文章をパソコンの画面で読むことができるというものである(本当にご存じ ない方にはこれだけではわからないでしょうね・・・・)。

 電子メールの特徴は既存の通信手段(郵便や電話)と比べてみるとよくわかる。

 第一に、郵便と比べると、相手に速く届く(ただし相手が最低一日一度は「私書箱」を確認してくれて いることが条件。ちなみに私自身は自分の「私書箱」を一日に四度は開く)。また、料金も安い。 郵便は最低でも50円(葉書)かかるが、電子メールは10円である(国内外を問わず)。それも一通 10円ではなく、1回10円なので、1回の操作で多数の人に多数のメールを同時に送信すれば10円で すんでしまう。私はある学会の事務局を担当しているのだが、会員への事務連絡はこの方法でやって おり、通信経費を大いに節約している。

 第二に、電話と比べると、相手と直接話さなくても用が足りる。声ではなく、文字の「留守番電話」 なのだ。ここから電子メール特有の「気軽さ」が生じる。たとえば、来年卒論指導を担当することに なった女子学生から、仮指導(初回の指導)の前に、こんな電子メールが届いた。

 はじめまして。卒論でお世話になる○○です。気づいたら仮指導があさってに迫っていて、今ひたすら おろおろしています。考えれば考えるほどわけがわからなくなっている状態です・・・。 厳しいと噂のある大久保先生の指導になんとかついていけるようにがんばろうと思っています。 これからよろしくお願いします。

 「はじめまして」とあることからわかるように、この学生とは直接の面識はない(私の講義は 履修したことがあるようだが、話をしたことはない)。指導を受けるにあたっての「ご挨拶」と いう内容だが、わざわざ電話で挨拶するのも唐突だし、手紙を出すのも堅苦しい。そもそも具体的な 相談内容があるわけではない。でも、ちょっと「ご挨拶」はしておきたい。・・・・そういう心理で 書かれた文章である。「今ひたすらおろおろしています」といった冗談とも本音ともとれる 口語的文体はいまの若者特有のもので、初対面の、しかも目上の(ですよね?)人間に宛てて 書く文章としては疑問符が付くが、こういう文体が通じない人ではあるまいと期待されている 以上、こちらとしてもその期待に応えないわけにはいかない。で、返信の電子メール。

 私の卒論指導が「厳しい」と噂されているようですが、他の先生方に比べてとくに厳しいという ことはないと思いますよ。「甘さは砂糖の二倍、カロリーは二分の一」というのが私の卒論指導 のモットーですので、安心して下さい。ただしどういうテーマで卒論を書くかはあなた自身が 決めることで、私が「これをやりなさい」と指示するわけにはいかないので、そこのところは しっかりしてもらわないと困ります。ちなみに仮指導のときにテーマについてきちんと説明 できない学生はサーカスに売られるという噂は本当です。

 人と人とのコミュニケーションの性質は、かなりの程度、コミュニケーションの手段の性質に影響される。 教師−学生関係も、電子メールの出現によって変容していくに違いない(ちなみに私のメール・ アドレスは[email protected]です)。

3.将棋

 1997年5月11日、チェスの世界チャンピオン、ガリ・カスパロフとIBMのコンピューター 「ディープ・ブルー」が試合を行い、「ディープ・ブルー」が勝った。このニュースは世界中を 駆けめぐり、ニューヨーク市場のIBM株価は急騰した。

 チェスは取った相手の駒の再使用ができないので、手数が進むほど盤面はシンプルになり、コンピュータ が有利になっていく。現在、残りの駒が5つになると、コンピューターは100%の確かさで最善手 を発見する(つまり、どちらが勝つかを予測することができる)。今後、さらに開発が進めば、 残り駒が7つの局面でもそれが可能になるだろうと言われている。しがたって、人間の側としては、 それ以前のより複雑な段階で優位に立ち、そのまま押し切る以外にコンピューターには勝てないのだ。 なぜ複雑な局面では人間の方が有利かというと、コンピューターは可能なすべての手を読む (したがって制限時間内に結論を出すことができない)のに対して、人間は直感的によさそうな 手とダメな手を判断し、ダメな手は最初から読まないからだ。

 将棋は、チェストと違って、取った相手の駒を自分の持ち駒として再使用することができる。しがた って手数が進んでも盤面は単純化するどころか、むしろ複雑になる(たとえば盤上の歩は一つ前に しか進めないが、持ち駒の歩は打つ場所がたくさんある)。というわけで、コンピューターが 将棋の世界チャンピオン(つまり日本将棋連盟の名人)に勝つ日は当分先だろうと言われて いる。実際、私が学生の頃、街のゲームセンターにあった将棋ゲーム機は箸にも棒にもかからない 弱さで(アマチュアの10級程度であったろうか)、私は100円で何時間でも遊ぶことができた (負けない限り、何番でも続けることができたのである)。

 しかし、ここ数年のパソコンの将棋ソフトの進歩には著しいものがある。最近発売された 「最強東大将棋2」(すごい名前!)はアマチュア4段の私も十分に楽しめる。序盤は互角 (ソフトには最新の定跡がインプットされている)。中盤は私の方が強いが、油断はできない。 終盤は、詰みのない局面では私の方が強いが、詰みのある局面ではコンピューターの方が強い (詰将棋はコンピューターの一番得意な分野で、これに限っては名人以上だ)。トータルの力 はアマチュア2段程度と思われる。いや、大したものである。考慮時間を一手30秒に設定した 場合は私の方が分がいいが、20秒ではいい勝負、10秒だとコンピューターの方が分がいい (レバーを操作するのに時間がかかるので、10秒とはいっても、実際には5秒以内に指し手 を決めなくてはならない)。

 いまパソコンの将棋ソフトの実力をアマチュア2段程度と言ったが、コンピューターの強さと 人間の強さは性質が違う。コンピューターの強さは「いい手を指す強さ」ではなく 「悪い手を指さない強さ」である。人間同士の戦いでは「いい手を指した方が勝つ」といようりも 「悪い手を指した方が負ける」のである。人間はミスをする。神さまの目から見れば、人間同士 の戦いは互いにミスの連続である。そして大きなミスをした方が、あるいは最後にミスを した方が、負けるのである。ところがコンピューターはミスをしない。少なくとも「ポカ」 と呼ばれる大きなミスは絶対にしない。また、人間の場合には、「指し手の流れ」というものを 重視する。直前に指した手の意図を生かそうとする方向で次の指し手を考える。言い換える と、過去の延長として現在がある。しかし、コンピューターは「その場面その場面での最善手」 を考える。こちらの指し手に臨機応変に対応して、それまでの方針をあっさり捨てて、まったく 別の方針に平気で切り替える。よく言えば過去にとらわれない。悪く言えばプライドがない。 私がコンピューターとの戦いを面白いと思うのは、非人間的な思考を相手にすることで、 人間的思考の特徴について知ることができるからである。

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